生贄姫は隣国の死神王子と送る平穏な毎日を所望する
 夜会の後からリーリエの日常にいくつか変化があった。
 一つは使用人たちのリーリエに対する呼び方。屋敷でくらい楽に過ごしたいというリーリエの強い希望により妃殿下呼びを控えて貰った。
 一つは使用人達とのお茶会。本来なら主人と一緒にお茶を飲むなどあり得ないのだろうが、知り合いもおらずテオドールも帰って来ない屋敷で言葉を交わす事もなく日を終えるのが寂しいと泣き落とし、たわいもない会話を楽しむようになった。
 そして大きな変化が今リーリエが頭を悩ませている案件。
 机を占領する目の前の山積みの手紙は今にも雪崩れを起こしそうだ。

「それにしても本当にすごい量ですね」

「……私に利用価値を見出したのでしょうね」

 大抵の事は迅速に丁寧に対応するリーリエですら辟易する量に、リーリエは何度目になるか分からないため息を漏らした。
 手紙のほとんどは開封すらしていないが、中身は想像できる。
 そのほとんどがリーリエに近づきたい貴族からの招待状だからだ。

「夜会で少し目立ち過ぎてしまったわね」

 あの日以降、生贄姫の評価に聖女スキルではないかという噂が加わった。
 この世界で回復魔法が使えるスキル持ちは貴重な存在だ。
 皇子妃とは名ばかりの人質であるリーリエの後ろ盾はこの国にはないに等しい。ならば今のうちに取り入っておこうと考えるのが貴族という生き物らしい。

「期待に添えられるものなど、私は持っていないのだけどね」

 リーリエのスキルは聖女ではなく、回復魔法も使えない。が、勝手に独り歩きした噂のせいでこのままでは聖女詐称の罪を着せられかねない。

「もういっそのこと全部燃やしてしまおうかしら?」

「リーリエ様、お気持ちはお察しいたしますが、流石に賛同致しかねます」

 散々生贄姫と嘲っていたくせにと心情的にはリーリエに賛成だし、テオドールなら本当に燃やしかねないが、それらを目も通さず無かった事にするわけにはいかないとアンナはリーリエを静かに止める。

「仕分けと返信のお手伝いはいたしますので、何なりとお申し付けください」

「旦那さまにご相談するしかないわね」

 あまり手を煩わせたくないのだけれどとリーリエは眉根を寄せる。

「それほどまでにお悩みでしたら、ギルバートに相談してはいかがでしょうか?」

 ギルバートとはこの屋敷で家令をしている銀狐の獣人の好々爺だ。この屋敷に来た時から王族、貴族の勢力図から国内に置ける各領地の情勢、果ては小さな失せ物探しまで全て彼に助けてもらった。
 主人不在で屋敷が滞りなく運営できているのは彼の手腕によるところが大きい。

「そうね、ギルバートを呼ぶことと、ノアに旦那さまとの面会依頼をして頂戴。どちらも急ぎでなくていいわ」

「承知いたしました。ノアへの依頼は最速にいたします」

 アンナがパァーっと華やかな笑顔で快諾する。あまりのいい笑顔に急がなくてもという言葉を飲み込まざるを得なかった。

「旦那様が久しぶりにお戻りになるのですから気合を入れて着飾りましょうね!」

 もう一つ大きく変わった点としては、ノアというテオドール専属執事を通して面会依頼ができるようになった事だった。

「……程々でお願いね」

 などという願いは届かないと思いつつ、リーリエは今後の自分の衣装はアンナ達に一任した。
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