生贄姫は隣国の死神王子と送る平穏な毎日を所望する
「そうそう、リィ。退職届受理しておいたから、明日から出勤しなくていいよ」

「はっ?」

 まだ出しすらしていないものを勝手に受理されたと聞き、リーリエは素で返事を返してしまった。

「流石僕の娘。引き継ぎ書も完璧だし、アレなら書類だけで充分だ」

 婚約式にしろ結婚準備にしろ時間がかかるからねと父はそう言って笑った。

「リィ、キミは自由だよ。テオになら任せてもいいだろう。好きになさい」

「だそうだ。で、賭けは俺の勝ちという事で異論ないだろうか? 元チューター殿」

 もちろん、この勝負はテオドールの勝ちだ。
 テオドールを諦めて高飛びしようとした自分とは違い、アシュレイ公爵家の家族丸ごと味方につけたテオドールのやり方はこの場合最適解だろう。そして、それができたのはテオドールの人柄と努力に他ならない。
 清々しいほどの完敗。
 だが、何故だろう?
 ただ本当に、ただどうしようもなく、心の底から、腹立たしいと思ってしまう自分がいるのだ。
 ふっ、とリーリエは笑う。

「ええ、もちろんです。テオドール様」

 結婚を望まれたはずの当事者である自分は一切知らされず蚊帳の外なのに、家族はみんなテオドールと交流していたという事実。
 リーリエ自身はテオドールから全く連絡もなく、テオドールに会うか否かで悩み、焦がれるように様々な感情を抱えて3年過ごしたと言うのに、それを知りながらみんなで黙っていた、だと?
 そして知らず外堀を埋められて、囲われている現状。
 はっきり言って、リーリエ的には全く面白くない。

「異論など、あろうはずもございません」

 これは、そう。八つ当たりという奴である。
 が、何かしら仕返しをしなければどうにも腹の虫が治らないとリーリエは思う。
 アシュレイ公爵家の家訓は『やられたら、徹底的にやり返す』だ。今回そこまではなくとも、何か仕返しをしなければ気が済まない。
 父にも、テオドールにも、そしてルイスにも有効な仕返し。

「リィ?」

 テオドールはリーリエが愛称ではなく名で呼んだ事に非常に嫌な予感を覚える。
 そんなテオドールにリーリエはにこっと効果音がつきそうな笑みを浮かべる。

「お父様、私明日から無職の自由業ということでお間違いありませんよね?」

「そうだね」

 リーリエの問いに父はあっさり肯定する。

「では、私明日からしばらく海外を転々としようと思います。もともと海外に拠点を移すつもりでしたし、魔法伯の肩書きがあればどこでも魔術師としてやって行けますし」

「……リィ、俺の勝ちじゃなかったのか?」

「ええ、なので結婚して差し上げますよ。ですが婚約期間は特に決めてませんでしたね。なら、期日未定ですし、いつでもいいですよね、テオドール様。私、やりたい事色々有りますので、明日から出かけて最低でも10年はかかりそうですね。色んな研究施設からオファーも頂いてますし」

 テオドールはため息をつく。
 確かに期間は決めていない。というよりもまだ何一つ決まっていない。
 が、10年はどう考えてもふっかけ過ぎだろう。
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