生贄姫は隣国の死神王子と送る平穏な毎日を所望する
「感情を表に出すなど、淑女失格ですね。生家でこんな姿を晒そうものなら、”淑女失格”と怒号とともに母から扇子が飛んできますね」

 カナン王国では主に弟妹を前に情緒を崩しまくっていたリーリエは、そんな彼女を危惧した母から割ときつめにマナーを叩きこまれていた。その結果家族の前以外では体裁を整えられるようになっていたのだが、本命の最推しの前ではそんな防御はあっさり崩れてしまう。

『今の私を見たら一発アウトでお母さまにお叱りを受けますね』

 とリーリエは長くつらかった淑女教育を思い出して、水とともに喉の奥に流し込んだ。

「……リーリエの実家はどうなっているんだ」

「私の家族でございますか? 子どもを溺愛している父と厳しくも愛情深い母と賢くしっかりものの弟と天使のような妹ですよ。結婚式には会えるかと思いますので、その時には改めてご紹介いたしますね」

 みんな自慢の家族なのですとそう話すリーリエと昼間に見た資料から抱いた印象が一致せず、テオドールは困惑する。

「旦那さまもですよ」

 そんなテオドールを真っ直ぐ見つめてリーリエは言葉を紡ぐ。

「経緯はどうであれ、私と旦那さまは今夫婦であり、一番近い家族なのです」

「……家族。縁のない言葉だな」

 そもそも”家族”というものがテオドールには理解できなかった。
 血の繋がりのある他人は、いつも自分を害そうとしてきたのだから。

「先ほどの話の続きですが、旦那さまは私のことを知ろうとしてくださっている。今日だって心配して走ってきて怒ってくださったし、”関わるな”と言っていたのに、今だってこうして向かい合って食事を共にしてくださっている。本当に蔑ろにしていたら、そんな面倒なことしないでしょう?」

 この政略結婚が本当に面倒であれば、無関心を貫くなり、リーリエを監視下に置いて幽閉するなり方法はいくらでもあったはずなのに、テオドールはそうしなかった。

「私は十分もらっていますから、大丈夫なのですよ。旦那さまを見ていたら私は勝手に幸せになりますから、旦那さまはそのままでいいのですよ」

 なにせ最前列で最推しの鑑賞ができるのだ。
 これを幸せと言わずになんというのか?

「私と結婚してくださってありがとうございます、旦那さま」

 その顔は取り繕った淑女の笑顔ではなかった。
 向けられたのはリーリエからの無条件の好意。
 テオドールは何度も向けられた慣れないそれにいつのまにか戸惑いより、手放し難さを感じている自分に気づかないフリをした。
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