本日、結婚いたしましたが、偽装です。
「さっさと、上がれ」
背後から、鍵をかける音と課長の声が聞こえたけれど、驚愕で足が動かなかった。
玄関…なんだよね?
いや、玄関ぐらいで何を驚くとツッコまれそうだけど、本当に広い。
よく見ると、床は塵一つ落ちていない、真っ白で清潔感が溢れてる。
完璧に掃除が行き届いている、まるでショールームの玄関みたいな玄関を見回していると、課長は革靴を脱いで、フローリングに上がった。
「佐藤。突っ立ってないで、来いよ」
私は、課長に急かされておずおずと、フラットシューズを脱いだ。
屈んで、靴の向きを直した。
と、そこで、入った途端に玄関の灯りがついていたのが、ふと気になった。
家の中は、誰かがいるような気配も無い。
本当にどうでもいいことなんだけど、どうしても、不思議に思う。
「あの、ここ、どうして明るかったんですか?」
もしかして、付けっ放しとか?
それは、勿体ない。朝、家を出てから帰宅するまでの間なんて、電気代がバカにならないじゃないか。
「ん?ああまぁ、感知センサーが反応して、玄関開け閉めすると勝手につくようになってんだよ」
課長は、ダークブラウンの扉が左右に一つずつ並んでいる廊下を歩きながら、そう教えてくれる。
勝手につくシステムって…、ああ、なんかあったな、たしか、省エネ対策で、スーパーとか病院のトイレに多いよね。
家の玄関に、そんなシステムを導入するとは。
「って、んなことどうでもいいだろ」
「そ、そうかもしれませんけど、自動で灯りがつく玄関なんて見たことなかったもので」
普通の廊下より、一段と距離が長いように感じる廊下の先に進んでいくと、解放感のある、リビングに着いた。
白い革張りの3人掛けのソファーと、ソファーに合わせたクッションが3つ、ガラス製のセンターテーブルが鎮座しているのが、視界に入る。
横切るだけでも時間がかかりそうな、広いという言葉では足りないくらい広いリビング。
そして、天井まで届く窓の向こうには、都会のビル群が無数の光を放っている。
うっわぁ〜…、綺麗な夜景…。
思わず感嘆の声が漏れてしまいそうになるのを抑える。
自分でも分かるくらい、多分今の私は、口を開けて、また間抜け面をしている。
「適当に座れよ」
「あ、はい…」
課長は、私にそう促してから、リビングの隣にあるダークブラウンのドアを開けると、中に入っていった。
私は、コートを脱いでから、立派なソファーに遠慮がちにお尻を乗せて、座る。
課長のプライベートな空間にいるのが、信じられなくて、お尻をもぞもぞさせた。
うわぁ、残業した流れで、まさか課長の家に来ることになるとは。
厳密に言えば、課長の前で泣き続けていたら、半ば強制的に連れてこられたんだけど。
でも、なんで、課長は、私を自分の家に連れて来たんだろう。
ふと、課長の家に居る理由が、私には無いと気付き、今の状況に疑問を持った。
ここ最近、仕事で失敗ばかりして足ばかり引っ張っていた部下が、突然残業中に泣いて、てっきり怒られるかもと思ったのに、いつもは厳しい課長が突然優しくなって。
それから、今、私は、タワーマンションの最上階の一室に、身を縮こませて居る。
その中に、課長の家に連れて来られる理由は、あったっけ?
いや、無いはず。
残業の後の、ちょっと遅めの時間に、上司の家に居る理由を必死に探した。
夜、しかも上司といえども、課長は、一応男性であって。
私の頭の中に、有り得ないことが、一つ浮かぶ。