本日、結婚いたしましたが、偽装です。


佐藤が、視線だけを俺に向けるけれど、すぐに逸らす。


「…佐藤、どうした。大丈夫か…?」


俺は、そう声をかける。


どうして泣いているのか分からない。


……何があったんだ。


目を真っ赤にして、涙を流し続ける佐藤がこちらを向く。


「っ、か、課長…、うっ、ひっ…、すみません…。す、すぐ、仕事に戻ります」


佐藤は涙声で言って、デスクの上のボックスティッシュからティッシュを数枚抜き取ると手早く涙を拭った。


仕事に戻るって、そんな状態じゃ無理だろ……。


泣いても、目の前の仕事に戻ろうとする佐藤に、俺はぎゅっと胸が締め付けられた。


俺は、さっき帰っていいと言ったのに、お前の涙を見て、仕事のことなんか忘れてしまったのに、それでもお前は……。


「佐藤、もう仕事は終わりだ。さっき帰っていいと言った。時間も時間だし、その様子じゃ仕事どころじゃないだろ。…もしかして、ここ最近、佐藤の様子が変だったのはその涙に理由があるのか?」


俺は、そのまま思っていたことを佐藤に訊いた。

ここ最近……一週間くらいの間、いつも上の空でぼうぜんとしていて、ミスばかり起こすほど仕事に身が入っていなくて、ずっと暗い表情をしていて、普段なら他の社員が面白いギャグとかを言ったら周りと一緒に笑うのに笑わないくらい、表情に明るさがない。


佐藤の表情に変化がないとわかるのも、ずっと見てきたからだ。


だけど、俺は『普段の様子』と違うことしか分からず、佐藤に何があったのかまでは分からない。


それが、歯がゆかった。


特に、泣いている佐藤を目の前にして、何も出来ない今の俺は。


何故、泣いているんだ?


何か、悲しいことでもあったのか?


一週間の間の様子と、今の涙の理由がもし同じものなら、教えてくれ。


佐藤をじっと見つめて答えを待つけれど、佐藤はどこか気まずそうにさっと視線を逸らした。


……もしかして、言いたくないようなことなのか?


それなら、仕方ない。


それに俺は、佐藤に嫌われているようだから、嫌いだと思っている俺に何か泣きたくなるほどのことがあっても、そう簡単に言いたくないよな……。


胸が、今度はズキンと痛んだ。


……嫌われているとしても、だけど泣いている佐藤を、放っておけねえよ。


どうすることも出来ない俺は、無意識のうちに、まるで引き寄せられるかのように、佐藤の方に手を伸ばしていた。


佐藤の頬に、そっと優しく手を添える。


佐藤に、そうして触れたのは、初めてだった。


びっくりしたのか、佐藤がわずかに身体をびくつかせた。

手のひらに伝わる佐藤の頬の柔らかさと、温かさをじっくりと感じる。


……手を、振り払われたりしないだろうか?


嫌いな俺に突然触られた佐藤に拒絶されないか、内心ヒヤヒヤする。


だけど、佐藤は驚いたように目を見開いているだけで、そういう素振りは見せなかった。


良かった……。


俺はそのことに、深く安堵した。



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