一途な小説家の初恋独占契約
「うーん、そうか、そういうことかぁ……」
「ジョーが、翻訳者を私にしたいと思っていただなんて、考えてもみなかったの。部長には、咄嗟に考えさせて欲しいといったけど……断った方がいいよね?」
「どうして?」
「え?」

私は、清谷書房の社員だ。
しかも、営業部の。

それが、長編小説の翻訳なんてしていいのだろうか。

「そんなの部長がいいって言ってるんだから、問題ないんじゃない? 大体、会社が認めれば、副業してもいい規則になってるよ」
「そうなの?」
「関心がないと知らないか。私が知ってるだけでも、他社からコミック出してる人とか、自作のアクセサリー売ってる人とか、週末だけ占い師やってる人とかいるよ」

……週末占い師。
気になるんだけど。

「あ、百発百中の勢いで当たる上、毒舌だから、占ってもらうなら覚悟してから行った方がいいよ」

何それ怖い。

「それに、汐璃が翻訳一本にするから会社辞めるって言い出す可能性だって、折り込み済みだと思うよ。フリーランスになる編集者や校閲者は、毎年いるからね」
「……そうなんだ」

全貌が分かってスッキリしている秋穂とは裏腹に、私はどうしたら良いか混乱していた。

「考えることなんて、ないんじゃないかな?」

顔を上げると、秋穂はいつもの大きなメガネを戻して、その奥の瞳を三日月にした。

「ジョー先生は、自分の作品をかけて、汐璃の翻訳に大きなチャンスをくれたんだよ。汐璃は、それに応えないの? 大事な人が大事なものをくれたのに、汐璃は本気で応えた?」
「……秋穂」
「チャンスなんて、滅多に来ないんだよ。生かすも殺すも、汐璃次第。やるだけやってみたら? ジョー先生は、私がしっかりサポートしておくから」
「……そう、だね」

寺下部長も言っていた。
選ぶのは、編集部であり、ジョーだ。
私じゃない。

秋穂の言う通り、やるだけやってみたら良いのかもしれない。
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