彼の甘い包囲網
結果的に、私の胸騒ぎは的中した。

梅雨入りをした六月初旬。

まるで私の心中のようにジメジメした空気が朝から漂っていた。

泣き出しそうに重い灰色の空は見上げる度に気が滅入る。





いつもと同じ朝。

出勤し、デスク周りを簡単に片付けてパソコンを起動させる。

週に一度は朝、担当部署のデスクの拭き掃除をしている。

杏奈さんが朝は早目に出社する人なので、自ずと私も早目に出社するようになった。

ラッシュを避けているだけだから合わせなくていい、と何度も杏奈さんには言われたけれど。


「おはよう、安堂さん。
今日も早いね。
今、いいかな」


直属上司の佐波さんが私を簡易応接スペースに呼んだ。

ここは三方を簡易の仕切りで仕切られているけれど、一方が開放してあるため、誰と誰が話しているか、話の内容も大体わかってしまう、オープンな場所だ。

人目にもつきやすく、あまり内密な話はここではされない。

ただ今のように殆どの人が出勤していない早朝の時間帯だとそうでもない。

きっと佐波さんもそれを狙ってだろう。

私の真向かいに腰をおろした佐波さんは四十代の独身男性だ。

一見強面の面立ちだけれど、自身の信念に忠実で理知的でな人だと杏奈さんに聞いた。

「朝の忙しい時間に悪いね」

佐波さんは薄いクリアファイルを机に置く。

トントン、と軽くクリアファイルを指で叩く。

佐波さんは普段、単刀直入に話をする。

そんな佐波さんが今朝は何だか歯切れが悪い。


「いえ……あの、何のお話でしょうか」


昨日、朝一番に仕上げてほしいと頼まれた書類処理に取りかかりたい私は自分から尋ねた。

「ああ、話、というか……安堂さん。
お見合いをする気はない?」

「……え?」

一瞬の沈黙。

それから私は瞬きをした。

「お、見合い、ですか?
誰と誰が?」

「安堂さんが取引先の男性と」

「……えええ?」


思わず素の声が出てしまった。

お見合い?

お見合いってあのお見合い?

え?

どうして?

頭の中に無数のクエスチョンマークが浮かぶ。


「あ、いや。
安堂さんにお茶だしをしてもらった取引先の男性がね、安堂さんに惹かれたらしくて……堅苦しいものではなくて個人的に会えないかと部長に頼まれたらしくて」

「……申し訳ありません。
お断りをしたいのですが」

即答した。

気に入っていただけたことは有り難い。

その証拠に驚いたし心拍数も早い。

だけど。

その男性の見当もつかないし、自分からではなく部長や上の立場の人を介して自分の気持ちを伝えてこられることが気にかかった。

まるで囲い込むように。

私の返事に、佐波さんは一瞬怯んだ表情をしたけれど、納得したように苦笑した。

「……だろうね。
入社したばかりなのにいきなり見合い、なんて言われてもね……部長には僕から伝えておくよ。
朝から申し訳ないね」

「……いえ」

「差し支えなければ、教えてもらいたいのだけれど。
決まった人がいるのかな、安堂さんには?」

普段と変わらない表情に戻った佐波さんが私に問うた。

一瞬迷ったけれど、私は頷いた。

佐波さんはそれ以上尋ねなかった。
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