彼の甘い包囲網
「……その様子だと知っていたみたいだね。
姉は楓ちゃんと蜂谷の関係に恐らく気付いている。
この間の見合い話は恐らく楓ちゃんへの牽制だろうね。
蜂谷に長い間、片想いをしてきた姉は今も諦めていない。
蜂谷はずっと正式な婚約者をたてることも発表することもなかった。
数年前から女遊びをやめたって話が飛び交って、蜂谷も身を固めるのかって噂になってたんだ」

「……それって」


思わず呟いた私を有澤さんなチラリと見た。


「恐らく楓ちゃんが原因だね」

息をのんだ。

呑気な反応をしている場合ではないけれど顔がジワリと赤くなった。

「……本当に顔に出るね。
蜂谷も嘘がつけないわけだ。
……蜂谷はずっと楓ちゃんの存在を上手に隠していたからね。
姉はその当時、楓ちゃんの存在をそこまで知らなかった。
だから、自分が婚約者だと発表されると思ってた」


有澤さんの言葉が胸に刺さる。

自分の好きな人に『好きな人』がいるかもしれない事実。

その恐怖。

人の気持ちほど不確定で思い通りにならないものはない。

自分こそが唯一だと思っていた人に背を向けられたら。

……その哀しみは言葉にできない。


「……仕方ないこと、だわ」

冷静な声で杏奈さんが告げた。

有澤さんは感情を読み取れない表情で緩慢に頷いた。

「そうだね。
……誤解のないように言っておくけど、俺はそのことで楓ちゃんに腹をたててるとかそういう気持ちは一切ないよ。
ただ、蜂谷には姉のためにハッキリとケジメを早い段階でつけておいてほしかった。
うやむやにせずにね」

「……そうですね」

肯定した私に有澤さんは意外そうな顔をした。

「へえ……蜂谷を庇わないの?」

「……もし私が瑠璃さんならハッキリと言ってほしいから」

「でもそれは楓ちゃんが今、蜂谷に大切に想われているからじゃない?
本気で逆の立場になった時、そんなに潔く言える?
それこそ俺には綺麗事に聞こえるけどね。
ハッキリと拒絶されて、その後どうなる?
誰を恨む?
誰に怒りをぶつける?」

挑むような有澤さんの瞳に気圧される。

「涼、そんな言い方はないわ。
楓ちゃんは自分の意見を言っただけよ。
楓ちゃんを責めるつもりはないって今、涼も言ったばかりでしょ」

杏奈さんが反論する。

私は咄嗟に杏奈さんの腕を掴んで首を横に振った。

「……いいんです、杏奈さん。
本当にそうだと思います。
だけど、綺麗事かもしれませんが……私は誰も恨みたくない。
自分が選ばれなかったことに泣き叫ぶくらいに、我慢できないくらいに、取り乱したり引きずったりはすると思うけれど、だけどそれでも私は自分が大好きな人の幸せを願いたい。
……時間が経って振り返った時に後悔するような行動はしたくない、です」

「……高尚な意見だね。
どこまでも模範解答だ」


揶揄するような有澤さんの言葉を私は受け止めた。


「結局、涼は誰の味方なのよ」


不快感を露に杏奈さんが有澤さんを睨み付ける。

有澤さんは肩を竦めた。


「俺は俺の思う方法を取りたいだけ。
姉が何を企んでいるのか、わからないからね。
誰の味方、というなら俺は会社を守らなければいけないから、会社の味方かな。
姉が万が一間違いを起こそうとするなら、経営者に近い人物としてそれを排除しなければいけない。
勿論、何の罪もない楓ちゃんを守らなければいけないし。
君は我社の社員だしね」

有澤さんが話していることは筋が通っている。

本音では、血を分けた姉を守りたいだろう。

だけど、社長の息子として有澤さんは自分の立ち位置をきちんと弁えている。

美坂建設には大勢の社員が働いている。

その社員の仕事を生活を守らなければいけないし、家族を守らなければいけない。

社会的にも大企業としての責任もある。

他社と提携して手掛けている仕事も無数にある。

無関係な社員までを巻き込んで私利私欲のために会社を貶めて迷惑をかけていいわけではない。


今日の彼の姿を知らなければ私は人当たりのよい男性だと思っていただろう。

奏多とは全然違う男性、でもどこか奏多に似ているものを感じた。


「……どうして今になって瑠璃は楓ちゃんに接触し出したのかしら?
どうして楓ちゃんが蜂谷さんの彼氏だって気付いたの?」

杏奈さんが腑に落ちない、といった表情で有澤さんに問うた。

「それは今、調べているけどまだわからない。
さっきも言ったけど姉の動向は不明なことが多いんだ。
親父も何処まで関与しているのかわからない。
姉に気付かれるわけにはいかないからね」

「わかりました。
私に出来ることがあるなら有澤さんに協力します」

そう伝えると。

有澤さんは少しだけ微笑んで言った。

「約束する。
蜂谷の手が及ばないうちの会社では俺が楓ちゃんを守るよ。
それと……姉が迷惑をかけて本当に申し訳ない。
弟として謝罪する」

その眼差しを信じて。

私は頭を下げた。

「いえ、大丈夫です。
今日話してくださって良かったです……よろしくお願いします」

私の知らないところで何が今、起こっているのかわからないけれど。

何か力になれるなら。

奏多の、足手まといにならずに済むのなら。

奏多を守れるなら。

その方法を選択したい。


「楓!」


いきなり大声が響いて、個室のドアがバンッと開いた。

「お兄ちゃん?!」

「柊くん!」

「楓、無事か?!
有澤、お前!
よくも楓を……!」

怒りも顕な兄に有澤さんは肩を竦めた。

「俺の予想より早かったね。
さすがだよ。
楓ちゃんには何にもしてない、話していただけだよ」

「何を……!
本当か、楓?」

兄が掴んだままの私の手を引き寄せて尋ねる。

汗ばんだ手に兄の焦りを感じる。


「う、うん。
話をしていただけだよ。
よくわからないんだけど……お兄ちゃんは私の状況を知っていたの?」

兄は瞬時に悲しそうな顔をした。

「……柊。
お前だってわかっているんだろ?
今まで蜂谷の弱点である楓ちゃんをここまで上手に隠してきた。
流石の蜂谷も他社の中までを掌握するには時間がかかる。
楓ちゃんを前面に出さずに済ませるには限度がある。
彼女には現状を知る権利がある」

「……奏多に確認する、それまでは保留だ。
杏奈さん、突然すみません」

兄は私の腕を強引に引っ張って立たせた。

杏奈さんは小さく首を横に振った。


「……妹さんに突然、失礼な話をしてしまってごめんなさい」

「折角だし、飯を食っていけば?」

「……今日は遠慮するよ」

それだけ言って兄は私を店から連れ出した。
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