彼の甘い包囲網
会社に戻って、午後の業務を再開していると。


「ねえ、聞いた?
秘書課の有澤さん、婚約らしいわよ!」

「えっ、誰と?」

「蜂谷グループの蜂谷奏多だって!」

「えっっ!
あの、蜂谷奏多?
ウソッ、何で?
何で有澤さんがそんな御曹司と知り合いなのよ?」

「さあ……でもホラ、有澤さんってウチの社長の親族だって噂がなかった?」

「そうなの?!
いいなぁ、カッコ良くてお金持ちの王子様が婚約者だなんて……」

「まあねえ、有澤さん、美人だもんね。
美男美女でお似合いよね」



チラホラと奏多と瑠璃さんの話が耳に入ってきた。

人の口に戸はたてられないとはよく言ったもので。

今朝の出来事がもうほぼ会社中の人々の口に上ってしまっている。

社長が渡米したことも信憑性があるのかもしれない。

気にする必要はないと目をギュッと瞑ってやり過ごす。

奏多が贈ってくれたネックレスを服の上から握りしめて。



時計の針がゆっくりと進んでいく。

就業中、何度も時計を見る。

杏奈さんが瑠璃さんを会議室に、と約束を取り付けてくれた時間は六時。


正直何を言えばいいかわからない。

何が正解かもわからない。


だけど、ただ。


一度も私は瑠璃さんに自分の気持ちを伝えていないから、自己満足と言われても、きちんと伝えたい、そう思った。


意識しなければそのことばかりを考えてしまう自分を叱咤激励して、私は業務を何とか終えた。

身の回りを片付けて、杏奈さんに合図を送って、私は会議室に向かった。

ドキン、ドキン、ドキン……。

会社内はそんなに冷えていないのに指先が冷たくなる。

会議室に一歩向かう度に足取りが重たくなる。

自分で決めたことだけど、引き返して逃げ出してしまいたくなる。


いつもは何とも思わない会議室への道が知らない道のように思える。



コンコン。


意味はないかもしれないけれど、会議室に着いてすぐにドアをノックした。

立ち止まってしまったら逃げ帰ってしまいそうだったから。

室内からコツコツとヒールの音がしてガチャッとドアが開けられた。

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