彼の甘い包囲網
「……あなた……」

ドアを開けた瑠璃さんの表情が強張る。

「何故あなたがここにいるの?
杏奈さんは?」

綺麗な顔に不快感を隠そうともせずに瑠璃さんが私に問う。

「あの、実は……私が」

「……そう、そういうことね」

私が説明をすることもなく、事情を察したのか瑠璃さんが長い髪をかき揚げた。

完璧に塗られたピンクベージュのネイルが施された細い指はとても綺麗で。

プラム色の口紅に、艶々の巻き髪。

洗練されたスーツ姿の瑠璃さんは誰が見ても綺麗な女性で。

思わず見惚れそうになる。


「……宣戦布告でもするつもり?
まあ、いいわ。
入ったら?」


瑠璃さんに促され、会議室に足を踏み入れた。

「私に何か話があるんでしょ」

窓際の柵に凭れながら挑むように瑠璃さんは私を見る。

「大方、奏多くんのことかしら?
……言っておくけど、今朝から広がっている噂に私は無関係よ。
信じられない内容のものばかりだけど。
何処から広まったのか知らないけれど私じゃない。
それとも何?
自分こそが本物の婚約者だと言いに来たの?」

瑠璃さんの言葉は少し意外で、でも少し納得できた。

初めて真正面から言葉を交わしてみて。

何故だかわからないけれど。

何の根拠もないけれど。

甘い、と柊兄には叱られそうだけど。

私には瑠璃さんが嫌な人には思えなかった。

「そんなつもりは、ないです」

堂々とした瑠璃さんの態度には遠く及ばないけれど。

机の向こう側にいる瑠璃さんに届くように声を絞り出す。

「ただ……逃げたくないだけです。
私は奏多が好きです。
奏多と一緒にいたいと思っています。
……その気持ちは譲れません。
私には何もありません。
知識も財力も家柄も。
瑠璃さんのような気品も知識も。
それでも奏多が大好きなんです。
奏多を好きな気持ちだけは誰にも負けません」

声も、踏ん張った足も震える。

大それたことを言っている自覚はある。

雇用主の御令嬢に、しかも先輩に言うことではないとわかっている。

だけど。

逃げないと決めたから。

自分の気持ちにも状況にも正面からぶつかるって決めたから。


不器用でも何でも。

私は推測で動くのではなく、真正面から瑠璃さんにぶつかりたい。
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