彼の甘い包囲網
「……行くつもりか?」


翌日。

我が家に上がり込んできた奏多に聞かれたのは。

ローテーブルに隣同士に座りこみ、レポート作成の目処がついて休憩している時だった。


兄の仕事の早さに驚く。

そして奏多の行動力にも。

もうちょっと隠しておいてくれてもいいのに。

隠していてバレた時はそれはそれで面倒な事態になるだろうけど。


「……まだ決めていない」

正直に伝えると。

「……何で」

物凄く不機嫌な顔をされた。

「何でって……。
いきなりの話だったから」

「じゃあ何で俺に相談しない?」

ジ、と感情の読めない紅茶色の瞳が私を見据える。

「おじさんに言われたのが昨日だろ。
何ですぐ俺に言わない?」

「……不機嫌なのはそれが理由?」

「それだけじゃないけどな」

フウ、と溜め息をひとつ吐いて奏多がサラサラの髪を掻きあげた。

奏多の長い指から焦げ茶色の髪が零れ落ちる。

奏多は色素が少し薄い。

瞳の色も髪の色も。

染めているわけではなく生まれつきだ。

髪の色も瞳の色も漆黒の私とは正反対だ。


「……寂しくないのか」


不機嫌さが剥き出しの表情と声が私に追い討ちをかける。

「……そりゃ、寂しくないっていったら嘘になるけど……仕方ないって思う気持ちもある」

小さく腕を前に突きだして伸びをする。

「紗也ちゃんや鈴ちゃんと離れるのも寂しいし、お気に入りのお店にもう行けなくなるのも辛いし……」

指折数えながら話していると。


「……俺は?」


キュッと指を掴まれた。

「俺と離れるのは寂しくないのか?」


その言葉に。

カアアッと頬が赤く染まった。


「何、急に……」

「答えて、楓」


何を真剣になっているの、と茶化そうとしたのに。

奏多の真剣な眼差しの前に何も言えなくなる。

ゴクリ、と喉が鳴った。

ソッと奏多が私の頬に長い指を添えた。


「楓、答えて」


逃がさない、と言わんばかりに奏多は私の瞳を覗き込む。

奏多の熱い瞳に私の胸中が暴かれそうで。

唇を噛み締めた。


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