いちばん、すきなひと。
部長
アイツだ。

まさかこんなーすぐに出会う事になるとは。
気のせいだろうなんて、思わない。

いや、ただの人違いかもしれない。
だけど振り返って再度その人を見る勇気もない。

怖い。

ただ、逃げる事しか頭に無かった。
その人が私に気付いたかどうかさえ確認する事はできない。
振り向いたら最後な気がした。

うまく息ができない。
けれど、走るしかない。
私は、とにかく全力で走った。

その場から逃げ出したかった。
まっすぐ家に逃げ込もうとしてふと、嫌な考えが頭をよぎる。

家がバレる事こそマズイのでは。

入りたかった自宅を通り過ぎ、近くの角を曲がる。
この辺が家だとバレたらーーーまた何か起こるかもしれない。

怖い。

とにかく、家から離れた方がいいのかもしれない。
とにかく、警察署へ行きたい。
けれどさっきの道に戻ると、後を追ってきた犯人と鉢合わせるかもしれない。

遠回りしたほうがいいのか。
でも変に外を出歩いているこの状態の方が危ない。

どうしよう。
頭がパニックになってきた。
誰か。誰かーーーー


その時、電話が震えた。


電話に出ても大丈夫だろうか。
話し声でここに居るのがバレないだろうか。
それよりも、アイツがすぐにも後を追って来ているのではないか。

息が苦しい。
とにかく、どこかへ隠れたい。


頭がパニックで、何処に行けばいいのかさえ分からない。
安全な場所はどこ?

震え続けていた電話が切れ、数秒後に再び振動が伝わる。

そうだ、電話ーーー
慌てて、カバンを探り携帯を取り出す。
ディスプレイに表示されている名前は
「田村…部長!」

慌てて通話ボタンを押して耳に当てる。
「もっ…もしもし…?」
何となく、電柱の影に隠れる。
イザという時の為に、周りに駆け込めそうな家を目で探す。

「ああ、宮野さん?……よかった、繋がった」
部長の声だ。
泣きそうになる。

「メール見た?返事がなかったから気になって。もう家に着いてる頃かと思って電話したんだけど」

「あ、すいませんまだ見れてなくて……」
「もしかして……まだ外?」

どうしようこの状況。
助けてほしい。
だけどこれ以上部長に頼ってはいけないのかもしれない。
迷惑がかかる。

「あ、そうです。家の近くなんですけど……」
「もう帰れそう?すぐに家に入ったほうがいい。……落ち着いて聞くんだ。さっき学校に連絡があって、おそらくこの間のーーー犯人と思われる人物がその辺にいるって。警察に通報が入ったらしい」

私は危うく、電話を落としそうになった。
やっぱりさっきのはーーーー

足が震える。
こんな所で腰が抜けてはいけない。
とにかく家に帰らないと。
警察署と家、どっちが近いのだろう。
どっちが安全?

冷や汗が出る。
こうしている間にもアイツが来たらどうしよう。

すっかり黙ってしまった私に、部長が訪ねる。
「もしかして……もう、会ってしまったとか……」
声が、出ない。
涙をこらえるので、精一杯だ。

「宮野さん、今どこ?俺今そっちに向かってて……多分近くにいるんだけどーーー」

今、何て?

聞き返そうとして、電話を握りしめた時。
自転車に乗った、部長が。
すぐ目の前の角から現れた。

「宮野さん!」
「部長……どう…して……」

部長は自転車で私の側に来ると、私の両肩を掴んだ。
「大丈夫?何もされてない?」
私は頷くしかできなかった。
本当に、怖かった。

またあの恐怖がやってくるのかと思うと、足がすくんでしまった。
必死で平気だと自分に言い聞かせようとして、こらえていた涙が
ひとつこぼれるともう止まらない。

ぼろぼろと泣き出す私を見て、部長は何かあったのかと心配する。
「……家の近所ですれ違って……もしかしたらと思って……怖くて……でも勘違いかもしれないし」
私はしゃくり上げながら説明する。
「確認なんてできないし……かといって家がバレるのも怖くて……どうしたらいいか分からなくて…」
部長は私の頭を少し撫で、その後突然抱きしめた。
「……もういいよ、大丈夫。……大丈夫だから……」

その、優しくて温かい感覚に。
ほだされてしまう。
私は今この場所が家の近所だという事も忘れて。
部長にしがみついて泣いた。




部長は、私が落ち着くまでずっと側にいてくれた。
何も言わずに。
しばらく胸を借りて、必死で呼吸を整えて。
ふと、自分が何をしているのかと気付く。

「あっ、す……すみません私ったら…!」
慌てて、顔を上げて部長から少し離れる。
勝手にしがみついてしまった。

「いいよ、気にしなくて。……少し、落ち着いた?」
優しい声でそう訪ねられ、私は鼻をすすって頷く。
「ホントすみません……なんだか情けないところばっかりで」
「そんな事ないよ。」

それより。気になった事がある。
「部長は……どうしてここに?」
突然現れるほど、近所ではないはずだ。
送ってくれる時も、わざわざ遠回りして帰ってくれているくらいなのだから。

「……思ったより冷静だね。」
部長は少し驚いて、こめかみを指でかきながら目を伏せる。
「キミが帰った後、すぐに先生から連絡がきたんだ。通報があったから下校時はできるだけ一人にならないようにって。急いでメールしたんだけど、返事がないから心配になって……」

「でも……部長……自転車だし来るの早いし……」
そうだ。
南高は、基本的に自転車通学は禁止している。
徒歩県内にいる生徒が多い為だ。

「家に帰って自転車で来たほうが早いと思ったからね。猛ダッシュ。テニスで鍛えた足も少しは役に立ったかも」
そんなに心配してくれたとは。
よく見ると部長の額に汗がにじんでいる。

「でもよかった。連絡がつかなかったらどうしようかと思った。」
はー、と部長が安堵の溜息をもらす。
「そんな……ホントすいません。たかが後輩の私なんかにそこまで心配してくださって……」
いたたまれない気持ちとはこういう事だろうか。

偶然、そこに居合わせただけなのに。
ここまで巻き込んでしまって、申し訳ないと思う。

「たかが後輩、じゃないよ」
「……え?」
部長が静かに言った言葉の意図を汲み取れず、私は彼を見つめた。
彼もまた、私を見つめる。
「こんな時に言う事じゃないから、言わないでおこうと思ったんだけど。」

街中なのに、二人の周りが静かになった気がした。
無音の、世界。

「入部してきた時から……気になっていたんだ。ずっと。」

今、何と言いましたか?
気になって……いた?

心臓が、バクバク言ってるのが聞こえる。
体中の力が抜けそうな感覚。
足が震える、顔が熱くなる。

「部室に初めて入った時、俺の絵を見つめていたよね。あの時から、ずっと見てた。今回の件は本当に偶然でーーーーだけど俺の気持ちを確認するには充分な状況で。キミが怖い思いをしたのに、それをきっかけにして何とか仲良くなろうとする自分も嫌だった……だけど俺はーーー守りたかったんだ、宮野さんを。」

私がこんな言葉をもらっていいのだろうか。
これは……夢?

私は何も言えずに、ただ部長を見る事しかできなかった。
胸が、苦しい。
声も出せない。
何を言えばいいのか、分からない。

異常なほどに熱をもった頬の感覚にとまどいながら。
私は、呆然とその場に立ち尽くした。

「……もし、キミが嫌でなければ。これからも……守らせて欲しい。」

こんな言葉、生まれて初めて聞きました。
私のような男まさりの可愛げのない奴が、こんなに想ってもらえて良いのでしょうか。

足が震える。

ホントは、この雰囲気に流されたかった。
全てを彼に任せて、飛びつきたかった。
だけどーーーーーどこかに引っかかるものがあって。

私の足を、地面に縛り付けた。


返事が、できない。
喜びたいのに。

ずっと黙っている私を見て、部長は少し困ったような顔をする。
「……ごめん、こんな時に言う話じゃなかったよね。ごめん……」
「ち、違うんです、そうじゃなくて……色々ありすぎて頭が真っ白で……」
あぁ違う。そうじゃない。
そうじゃないんだけど。

「でも、俺の気持ちに変わりはないから。今すぐ何かを望む訳じゃないんだ……ただ、一緒にいてもいいかな……って言いたかっただけで……」
私は無言で頷く。
一体どれほど無言で頭を振るのだろうか私は。

私ってこんなに無言キャラじゃなかったハズなんだけど。
部長の前だとつい緊張してしまう。

これも、ひとつのカタチなんだろうか。
レンアイ経験ゼロからイチになるための。

「部長が……そんなに気にかけてくれてるなんて知らなくて……でもすごく嬉しい、です。」
素直に、それだけは伝えたい。
嬉しい。

部長に、女の子として見てもらえた事。
気にかけてもらえた事。
こうして、守ってもらえた事。

全てが、今までにない経験で。
その、ひとつひとつにドキドキさせられる。

これも。恋なんだろうか。
< 26 / 102 >

この作品をシェア

pagetop