いちばん、すきなひと。
妙な罪悪感。
頬の熱が治まらないまま、私は部長に送ってもらって帰宅した。

警察へは、部長が連絡してくれた。
以前一緒に行ってるので、伝達もスムーズだった。

部長は自転車を押して、私の歩調に合わせて歩いてくれる。
何を話せばいいのか分からず。
ただ黙って。

家の前で、歩みを止める。
「ありがとうゴザイマス……」
うまく話せなくて、変な喋り方。
部長は苦笑して、私の頭をポンと撫でた。

「気にしないで。明日からはお盆休みだし……また連絡しても、いい?」
部長の声が甘くて、心臓を鷲掴みにする。
私はまた頷いて。ぎこちない笑顔で部長を見る。

「じゃ、またね」

優しい声で、そう言われると
離れたくなくなる。

これは……魔法だ。
私が、私じゃなくなる。


部長の背中を見送って。
切ない気持ちを持て余し、浮ついた足元のまま玄関に入る。
「あら、おかえりー。今日は早かったのねー」
母がリビングから顔を出す。

ふと、現実に戻った気がした。
泣きはらした目と熱の取れない頬を見られたら母が何と言うか。

「あ、うん。作品が一つ出来上がったからね。外暑かったしシャワーしてくるっ」

逃げるように、バタバタとお風呂へ入る。



夢、だろうか。
何処かで頭打ったりしてないだろうか私。

シャワーを浴びていても頭の中はボンヤリしてるし、体はふわふわしたままだ。

目を閉じると部長の顔が浮かぶ。
心臓の鼓動が大きくなる。

先ほどの出来事が、頭から離れない。


私は、どうすればいいんだろう。

付き合おうって言われた訳じゃないし、一緒にいてもいいかって話でーー
でも、それは付き合うって事なのかな。


リビングのソファでテレビを見ても、何も頭に入らない。
ずっと同じことをぐるぐると考えてしまう。


結局、その夜も眠れず。
ぼんやりとしたまま、お盆休みを過ごしてしまった。
親戚の集まりにも、上の空で参加したので全く記憶がない。


落ち着け、冷静になるんだ私。
そう自分に言い聞かせるけど、うまくいかない。


そして夏休みも後半に入る。
朝ーーどんな顔をして部活に行けばいいのかと悩んでいると、部長から電話がかかってきた。

緊張する。
「も、もしもし……」
「……おはよ。今日は部活来れそう?」
「え、あっ…はい!行きますっ」

電話の向こうで部長は少し笑ったような、気がした。
「そんなに緊張しなくてもいいよ……今までどおりで。この間のはホント、俺の勝手な気持ちだから気にしないで。」

そう言われると、少しホッとするような
拍子抜けで寂しいような。

「きっと宮野さんの事だから……悩んでるんじゃないかと思ってね。」
ズバリ。
部長、なぜそこまで私をよくご存知なのでしょうか。

「えっと……どうしたらいいのかと思って……」
だから私も、素直に話せる。
「そうだよね。うん、悩むと思ってた。」
部長は、やっぱり優しい。

そしてまた、私に歩み寄ってくれる。
「だから……今までどおりでいいんだよ。一緒に部活出て、帰りも予定が会えば一緒に帰って……心配しないで。俺の気持ちを知ったところで、何も構える事はないからさ。」
そんな気遣いが嬉しくて、甘えてしまう。
自分の迷いに蓋をして。


今は、ただ。
この流れに任せてもいいかなと。


「じゃあ……また後で」
そう電話を切り、溜息をつく。


すぐ会えるのに、電話で声を聞けたりするのが、くすぐったい。
素直に、嬉しいと思う。


部活、昼から行こうと思っていたけど。
今からにしよう。
そう思い立って、急いで準備をした。


家を出て、学校へ向かう。
いつもの並木道には、朝から部活に向かう同じ制服を着た人がたくさん歩いていた。

その中でーーつい目についてしまう人。
今、会うべきではない気がする。


だけど、何故か気づかれてしまうのだ。
何かの拍子に振り返り
「あっ、こんな時間に珍しいじゃん。」
おはよー、と声をかけられる。

野々村。
今朝は松田も一緒だ。


別に何もないのに、なんとなくーーやましい気分になる。

「おはよ。ちょっと今日は早めに行くだけだよ」
自分の心の靄を払うように、素っ気ない素振りで説明した。

私たちには、なんにも無い。
だから何も考えなくていいはず。

なのに、どうして。
こうもソワソワしてしまうのか。

「ふーん……あっ!そういやあの絵、もう描いてんの?今日から?」
きっと、写真を撮ったこの道の事だろう。
「これから行って描くよ。」
「何なに?何の絵?」
松田が興味アリと詳しく聞いてくる。

「みやのっちがさー、この並木道の風景を絵にするんだって」
野々村が説明する。
「へー、じゃ俺らも描いてくれる訳?」

何故そうなる。

シルエットで人影を入れるイメージはあるのだけれど。未定だし言わない。
「そこまで考えてない。とにかく私はこの木々が描きたいの」
ふーん、と興味なさそうな松田の返事が聞こえた。

腹立つ。オマエなんかシルエットすら描いてやらない。


「飾られたら一番に見る約束だからな。絶対飾られろよ」
野々村が私を指差してそう宣言する。
「そんな……飾るかどうかは私が決める訳じゃないし。」
私が肩をすくめると、野々村は言葉を変えた。
「じゃ、飾られるとか関係なく。描き終わったら見せて。こないだ出来たって言ったヤツも」
「なんでアンタにそんなエラそーに言われるわけ?」
逐一報告だなんて親にもしないよ今は。

「いいの、俺がみやのっちの絵を見たいだけだからっ」
だからどうして。
この人はこういう事を臆せず言うのだろう。

「なんつー理由。子供かっ」
そうだ、子供だ。
無邪気な。
だから、ほだされるんだ。

「持って帰る時に偶然会ったら……見れるかもね」
「なんでオマエは素直に見せるって言わねーんだよっ」
「素直じゃなくて悪かったわね!見せるほどの絵じゃないってことだよ!」
つい、口調が荒くなる。

可愛くない。

なんで、いつもこうなるのだろう。
野々村の前では、素直になれない。
肩肘張っちゃう。

「オマエが絵上手いのは知ってんだからな!そーゆーヤツの絵、見るのは楽しいだろうが。」
「……ありがと。じゃそーゆー事にしとく。頑張って描くよ。」
口調は拗ねたままだけど
意識して、素直になってみた。

「おう」
野々村もそれ以上は何も言わなかった。
松田は急に素直になった私の言葉に、いささか違和感を覚えたようだった。



部室ーー美術室の戸をあける。
「おはよーございまーすっ」
「おはよー……あら?今日は早いのね」
奥田さんだ。

彼女にも少し後ろめたい気持ちが燻る。
どうしたらいいんだろうか。

「ちょっと早く描きたくて来ちゃいました」
笑って誤魔化して、自分の絵の準備をする。

特に、何も気にする必要はないはず。
自分に言い聞かせて、目の前のキャンバスを新しい物に取り替える。
下地として予めジェッソが塗られた物なので、すぐに作業に集中できるのがありがたい。

夏休みもあと少しーーそれまでに描き切れるのか。
不安もあるが、焦ってはいけない。
しっかり、自分の納得するところまで描く。

そう決めて、鉛筆を手に取った。


やっぱり。
手を動かしていると落ち着く。
目の前の絵に集中できる。


金曜の事、部長との事、野々村の事、
そして、奥田さんへの妙な罪悪感ーーー
全てを忘れるかのように、私はひたすらキャンバスに向かった。
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