いちばん、すきなひと。
常に背中合わせの何か。
休み気分も抜け切らないまま新学期は始まる。

並木道の絵はなんとか描き上げた。
休み返上で毎日遅くまで残って頑張った甲斐があった。
もちろん部長もそれに付き合ってくれた。
おかげで、あの日以来二人で出かけていない。
ひたすら学校と家との往復だった。

けれどもそれが、私にとっては安心をもたらす。
外で感じた、あの気後れを私は敬遠していた。
何かー彼が違う人のように思えるからだ。

彼の違う一面を見ると嬉しくなるが
場合によっては距離を感じてしまう。

そういった、経験の少なさによる戸惑いのようなものが怖かった。


結局、コンクールには部長と相談して二枚とも出すことにした。
作品は後で返してもらえるそうなので、間に合えば文化祭に飾れるかもしれない。

「麻衣ちゃんと毎日ここに通ったおかげで、俺も納得いくものが描けたよ。」
彼がそう言ってくれて、私は少し救われた気がした。
自分の都合で振り回してばかりいるような罪悪感を感じていたからだ。

「部長、見せてもらっていいですか?」
放課後、活動の時刻を過ぎて部員が皆帰った後の美術室。
今なら、彼の近くでこうして親しくしていても大丈夫だろう。

彼の後ろからそっと、キャンバスを覗く。
「…………」
声が、出なかった。
息をのむ、とはこういう時の事を言うのだろうか。

高校生が、こんな絵を描けるんだ。
率直な感想、だった。

やっぱり彼は繊細なんだな、とも気付く。
細かい描写に、自分では出来ない技術を見つける。
いつまでも見つめていたい絵。
この人の絵は、いつも私を惹き付ける。

そして彼もまた。
この絵はーーー彼自身を写しているのだろうか。
ただの風景画なのに、どうしても作者の面影が見える。
それはきっと、私が
この絵の作者を知っているからだろうけど。

「……感想言えないくらい集中、してる?」
部長が隣で苦笑しながら囁く。
ハッとして、そうだここは美術室だと気付く。
「えっ、あっ……そのあの…」

あはは、と彼は笑って。
「いいよ、そうやって言葉を失うくらいに見てくれるのが嬉しいから」
そう言って。彼は画材を片付け始めた。
褒められてるハズなんだけど
まともな言葉すらかけられない自分が、情けなくて
なんとなく申し訳ない気持ちになった。


「文化祭、何するの?」
帰り道、それとなく聞かれた。
もうすぐ文化祭。各学年それぞれのクラスが自分たちで企画、実行して作り上げる一大イベント。
私たちにとっては、初めてのお祭り。

「うーん、そういや舞台するとか何とかって聞いた気が……」
「舞台?」
「最初、カフェとかそんなのしたいって話だったんですけど、学年で候補が多くて場所が取れなかったとかそんな話でしたよ。で、演劇好きな委員長が張り切って体育館の舞台を押さえたから舞台しようとかって」
「面白そうじゃん。麻衣ちゃん出るの?」
「まさか!まだ決まってないですけど私は絶対裏方ですって!」
「へぇ、残念。出たらいいのに」
「何言ってんですか!私より可愛い子いっぱい居るのに」
「麻衣ちゃんも充分可愛いよ」

またそんな台詞を軽々と……
こっちが恥ずかしくなる。

でも、嬉しい。


「とにかく、私は裏方ですので。」
そこは冷静に押しておく。
恥ずかしい目には合いたくない。

「そう、美術部だし大道具とか小道具とか作ったり?」
「あっそうですね。それがいい!そうします」
「手伝える事あったら言ってよ。」
「いいですよー部長使ったらみんなにヒンシュク買いますって」
私は笑って、それはありえないと手を振った。

「それより。部長のクラスは何やるんですか?」
「俺ら?ホスト喫茶」
「はい?」
「イケメンの奴らがホストみたいにお客様をおもてなし〜」
「……マジですか。それ」
「女子が勝手に盛り上がってやってるけど、あながち皆嫌でもなさそう。おネエ喫茶とどっちにするかで揉めた。」
「おネエ喫茶って……。それはそれで面白そうだけど」
ヘタしたら寒くなりそうな予感、とは言わない。
まだホスト喫茶でよかったかもしれない。

「もしかして……部長もそれ、やるんですか。ホスト役。」

彼は美術部という事もあって、一見地味な雰囲気もあるけれど
実はファンが多い事も知っている。
クラスではどんな立場なのかと気になった。

「やるよ」
さらりと言う部長に、呆れる気持ちとーーーーやっぱりな、と思う微妙な感情が混ざる。
「だって、面白そうじゃん。」
それだけ……ですか、理由は。

こんなに繊細なのに、こういうところ図太いなと思う。
部長って不思議。
でも、この間映画館に行った時の事を思い出せば納得。
扱いに馴れているというか。

やっぱり、遠い感じがして。
私が自分に自信がない事を浮き彫りにされる気分。

「だから、麻衣ちゃんも来てね。俺が皆の前で堂々とおもてなしするから」
不適な笑みを浮かべてそう言う。
「えーっ!?そんなの困りますよ。なんか公私混同!」
「こういう時じゃないとできないでしょ。」
「私はこの時間があれば充分ですって!」
「そうなんだ。残念だな。俺はもっと校内でも麻衣ちゃんと近くにいたいのに」

またこんな事を言う。
部長ってズルイ。

でも、ズルイのは私かもしれない。

私は、皆に知られるのが恥ずかしくて。
美術部では奥田さんはもちろん、他の部員からもそういう目で見られるのが嫌で
部長との事を内緒にしている。

部長は堂々とすりゃいいじゃん、と言うのだけれど。
なぜ私は開き直れないんだろう。

考えないようにしている。
皆に知られるという事は。
野々村にもそれを知られるという事。

それを避けている、自分がいる。


分かっているんだけど
私は、卑怯だ。



部長の優しさに甘えて、もう少し時間をもらおう



それから。しばらくはお互い文化祭の準備で忙しくなり。
一緒に帰る事がなくなった。
メールや電話で多少、世間話な連絡を取り合うものの。
お互いさほど時間があるわけでもなく。
学校でたまにお互いを見かけて、軽く手を振る程度。
部活も、出れる時に出るというスタイルの為、準備優先の時は顔すら合わせられない。

「あれ?みやのっち久しぶりー」
「こんにちは」
久しぶりに部室を覘いても、部長の姿は見当たらない。
「あれ?今日は部長来てないんですか?」
「うん、そういやここんとこ来てないね。準備で忙しいんじゃないかな。」
「ホスト喫茶って聞きましたよ……何を準備するんでしょうね」
「えーっホスト!ウケるー!部長もやるのかな。」
「……こないだ聞いたらやるって言ってましたよ。」
「マジ?ちょっと面白そう。行ってみようかなぁ。」
あはは、と同じ部の先輩と笑い合って。
文化祭に展示するための絵も少し描いておく。

コンクールに2点も出してしまったので、文化祭用にひとつ描いておこうと思ったのだ。
舞台の大道具も少し作らないとならないのでハードになりそうな予感だが。

「先輩は何やるんですか?」
「私のトコはねー唐揚げ!ポスター作ったりはするけど、委員長や実行委員さんが材料そろえたりしてくれてるから後はおまかせなの。楽でいいわ」
「へぇ、いいですねソレ。私のクラスなんて舞台するから大道具とか作るの大変ですよー」
「あー美術ってだけで凄く頼られそうだもんねみやのっち。」
「そうですよー私自分の絵もやりたいから必死です」

他愛無い会話をして、そこそこに作業を進めて片付ける。
いつもなら、部長の存在を感じるのに今日はそれが無い。
それが少し寂しいのだけれど、同時に少しホッとする。
自分の時間というのも、必要かもしれない。
そう思った時間だった。

少し会わない日が続くと、最初こそ物足りないモノだけど
人間、馴れるという性質を持っているせいか、そんなモンだと思えてくる。
あの時の乙女心はどこに行ったのだろうか。
そんな気分にさえなる。

毎日のメールも少し疲れてくる程に、予定が詰まってきた。
申し訳ないけど、電話を断る日が増えた。

そのうち、彼も忙しくなったのか。
メールの回数が減ってきた。
私を気遣ってくれてるのか、それとも彼も忙しいのか。
それともーーーーー

少し、隙間が空いた気がした。

これが、現実なのかもしれない。
あの、甘い時間は夢だったのかもしれない。
そう思えてくるほどに。


文化祭の準備が忙しい事に、少し安心をする。
余計な事を考えずに済むからだ。


色々な事から逃げ続ける。
忙しいという理由を掲げて。


絵も描いて大道具も制作を進めて
間に合わない気がしたので家に持って帰って作業する事もあった。
目の前の事を片付ける為に、全てを集中した。

体力が削がれていく。
睡眠を削って絵を描くのも嫌いではない。
夜の作業は集中できるから苦痛にはならない。

けれど、翌日の疲労がハンパない。

こんなに忙しいのは私だけだろうか。
そんな事はない。
皆、それぞれに役割があって、部活も並行してやっている。
塾に通っている子もいる。
私だけじゃない。
そう言い聞かせて、部長との連絡もそこそこに
目の前の課題に取りかかる日々を過ごした。


私はいつも、背後に何かを背負っている気がする。
でもそれを見たくないがために
目の前にいろいろと問題を置いている



それに気付いたのは、私でも部長でもなかった。
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