いちばん、すきなひと。
核心を突かれる。
結局。荷物を人質……物質に取られた私は、教室へ戻る。

もの凄く、複雑な気分だった。

部長と二人の時間も大切にしたい。
だけど
野々村と仲良く出来る時間も欲しい。

こんな身勝手な感情、酷すぎる。
我ながら、情けなかった。


部長への罪悪感。
でもそれを隠している野々村への罪悪感。
全てを誰にも話せず、自分で抱え込んでいる現状。
その上での、生活。


グラスに注いだ水が、表面張力でなんとか均衡を保っているように
私の心も、張りつめていた。

でも全て、自分の不甲斐なさが原因なのだ。
分かっている。

この感情だけは
自分でもコントロールできない。
それを言い訳にして
見ないフリをしているだけなのだ。




「おー来た来た。みやのっちお疲れー!そして入選オメデトー」
野々村が廊下に立っていた。
彼の顔を見て、少し頬が緩む。
待っていてくれたんだと。

「お待たせ。もー先に帰ってくれてよかったのに」
そう言って教室を見る。
仲のいい数人が、まだ残ってくれていた。
「ここまでクラスに尽くしてくれた人を放って帰れないよ」
「みやのっちなくして舞台の成功はあり得ん!」

頑張った成果だと思う。
ここ数日は辛かったけど、やってよかった。
そう思える。
皆に喜んでもらえたのなら本望だ。

「ありがとー頑張った甲斐あるよ。後は明日の成功を祈るだけだね!」
皆で頷いて。
「っしゃ!明日が本番だー!」
「おー!」
拳を振り上げる。

その瞬間、教室が回った気がした。
違う、目眩だ。
と、気付いた時には遅く。

足元がよろめく。
「わっみやのっち大丈夫?」
皆が私を覗き込む。
「ごめんちょっと目ェ回った……」
寝不足だ、情けない。

幸い、意識があるのであははと笑って誤摩化す。
だけど。
思ったよりすぐに治りそうじゃない。

天井が回っている。
尻餅をついたまま、しばらく呆然とする。
「……マジ大丈夫?」
友達が心配している。
平気なそぶりをみせないと。

「あー大丈夫ダイジョウブ。ちょっとしたら戻るから」
それにしても。
貧血だろうか。
気分が悪い。
いつまでも世界が回っているせいだ。腹が立つ。

「……みやのっち、真っ青だよ……」
「大丈夫だって」
「でも……」
「イケるいける」

無理矢理、立ち上がろうとした。
が、
そこからスッポリ記憶が飛んだ。







「……はい、そうです。とりあえずもう少し様子を見て……はい、お願いします」
ふいに耳に届いたノイズが、保健の先生の声だと気付くのにかなりのタイムラグがあった。

ここはどこだろうか。
私は何をしていたんだろうか。

まったく、状況が分からない。

とりあえず、ここが何処なのかを知るのが先か。
瞼を閉じたまま、意識下でそんな事を考える。

ふいに。額に手を当てられた。
誰?

確認しようと、ゆっくり重い瞼を上げる。
しばらく定まらなかった視界が、段々焦点を結び始めた。

「…………あ」

「……大丈夫、か?」
野々村だ。

どうやら、本気でぶっ倒れたらしい。
情けない。

「……ごめん、まったく訳が分からん」
私が掠れた声で言うと
「それはこっちの台詞だっつーの。」
コツン、額を指で弾かれる。
痛い。

「何でこうなるまでやるんだよ。だから言っただろーがっ、やり過ぎだって」
怒ってる。

駄目だ、今の私は本気で凹む。

「みやのっちー、大丈夫?」
野々村の後ろから友達が覗き込む。
皆、まだ居てくれたんだ。
巻き込んで、ごめん。

あぁ、また巻き込んだ。
何でも自分で抱える癖に
肝心なところで誰かを巻き込む。
これじゃ一人で必死で頑張ってる自分がバカみたいだ。

「……ごめんね…もう大丈夫」
申し訳ない気持ちしか、浮かばない。
「みやのっちの目が覚めたら呼んでって先生が言ってから……行ってくるね」
友達二人がそういって、保健室を出た。

まだ気分が悪くて、起き上がる気になれない。
固いベッドに居心地悪く寝たまま、状況を伺う。

「他の皆は……?」
「松田は予定があるって帰った。心配してたから後で連絡な。他の奴らまで居ると騒がしいだろうからって
先生が帰るように指示。今ここに居るのはアイツらと俺」
「そっか……ごめん」
「謝らなくていい。今度何か奢ってもらうから」
そう来るか、そうだろうな。
そのほうがこっちも気が楽だ。

「それにしても。何をそんなに無理してんだよ。出来ねーことは誰かに頼めよ」
「……違うの。そうじゃないの。」
「何が。全然分かんねー」
「だよね……」
私は力なく笑う。

こんな事、誰にも分かってもらおうなんて思わない。
私は何のために、これほどまでに走っているのか。

野々村は大げさな溜息をついて
「……お前なぁ、何でもかんでも一人で背負い過ぎじゃね?あれもやってこれもやってさ、そいで自分の事もやろうとしてさ。何か……あるんじゃねーの?」
当たらずしも遠からず。
何かはある。
だけどそれは

私は反論しようとしたけど、声がうまく出ない。
野々村は続ける。
「いい加減にしろよな。平気なフリして張り切ってさ」
「……平気な……フリ?」
「そうだよ、大丈夫って言いながら大丈夫じゃない事ばっかじゃねーか」
「何……どういう……」
「端から見ればどうしたってキャパオーバーな事分かってんだよ。オマエ賢いんじゃなかったの?」
「……賢くなんか、ない」
「あ、そ。少なくとも俺はみやのっちが賢いと思ってたんだけどな。」
「……それは残念でございました。私はまったくそんな人間じゃないのでね」
「またそうやって卑屈になるだろ。話が違う!」

珍しく野々村が声を荒げた。
私は思わずビクッと震えた。

「……もっとさ、単純になれよ。何難しい事考えてんだよ。頭であれこれ考えたって身体ひとつなんだからどうしようもねーだろが」
野々村は頭を掻きむしる。
私は何も、答えられなかった。
これ以上は、無理なのだ。

「……何か、さ。考えたくない事があるんだろ。それと向き合いたくないから……目の前に課題山積みにしてるんじゃねーの?最近のオマエ、そんな風に見えるんだけど」

図星、だ。

グラスから水が溢れるように。
私の目に涙が浮かんだ。

泣いてはいけない、と思いつつ。
目の前の。彼の言葉に揺さぶられる。

「……なぁ、何でそんなに思い詰めてんだよ?…何かあったら言えよな。前もそんな話したじゃん」

(オマエを泣かすような奴は、俺が許さん)

それが駄目なんだってば。
アンタがそんな風に言うから。

全てをぶちまけてしまいたい。
だけど。
それに支払う代償の大きさが怖くて
やっぱり私は、何も言えない。

ただ泣くだけ。


「……俺には話せないの?」
今までになく、優しい声。
そんな声、初めて聞いた。
期待してしまう。


話してしまいそうになる。


でもそれは同時に
私が調子のいい人間だという事が露呈してしまう。

二人とも好きで、決められないなんて
そんなどこかの少女漫画よろしくな話、誰も聞く訳がない。

そんな醜い自分を知られるのが嫌で
何も言えなくなってしまう私はーーーーー卑怯だろうか。



「ごめんね……」
私は、それしか言えなかった。
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