いちばん、すきなひと。
自問自答
しばらくして、先生が様子を見に来た。
まだ少し目眩が残るものの、気分はマシになったので自力で帰る事を伝える。

ひとりに、なりたかった。

「俺、帰り同じ方向なんで大丈夫っすよ」
心配する先生に、野々村がそう言った。
友達は私たちの普段を知っているだけに、変に勘ぐりもせず。
「みやのっちー、しっかり休んでね!」
「明日来ないとダメだよー」
と、帰った。

ありがとう、と礼を言って友人達と別れる。
野々村と二人で、歩く。

以前ならこの状況をくすぐったく思う自分が居たはずだけど
今日はどうにも空気が重い。
自分のせいなのだが。

ただ、ひたすら黙って歩く。

二人で歩いているはずなのに
ひとりの、気分だった。


私は、どうしたいんだろう。
ほんとうは。


肝心な部分が抜けてる気がする。
なくしたパズルのピースのような。
全体像は見えているのに、いつまでたっても完成しない。

この状態が辛いのも分かっているはずなのに
解決する術を見失っているフリをする。

ほんとうは、もっと、単純。



「……俺、チャリなんだわ今日」
突然、野々村がボソッと言った。
ひとりで漠然と考え事をしていたので、その意味を理解するのに少し時間がかかる。
やっとの事で反応ができそうだという時にはもう
彼は脇道に隠すように止めてある自転車を引っ張り出して来た。

「……乗る?」
断ろうと思った。
そんな、気分じゃない。

だけど。

また、大事な何かを無くしてしまいそうな気がして。

黙って、頷いた。



松田とよく二人乗りをするのを見かけるこの自転車は
座りやすいように、後部に荷台が付いている。
横座りし、バランスを取ろうとサドルのフチに少しだけ手をかける。

「落ちるなよ」
彼は前で短くそれだけ言って、無言でペダルを漕いだ。


色々、考えたい事があったけど
自転車から落ちないように、それだけに集中した。
何も、考えられなかった。


並木道をいつもの倍のスピードで駆け抜ける。
長い長い道のりなのに
あっという間に終わる。
まるで私に考え事をさせないように。


「このまま家まで送っちゃる。ちゃんと乗っとけよ」
野々村はさらに走った。

思考回路が停止してるので、私は彼に任せるしかなかった。
ただ、この状況がとても居心地のいいものになった事を
とても残念に思う。



あっという間に家の前に着いた。
「到着っと。」
少し惜しい気持ちを隠して、静かに荷台から降りる。
「……ありがと。」

それだけ言って荷物を受け取った。
目が合わせられない。
色々と、気まずくて。

小さく、彼が溜息をつくのが分かった。
「……ホントに、大丈夫か」
心配されてる。
それだけは分かった。
もう、充分。

「……大丈夫って言いたいけど、信用ないしね。」
苦笑まじりの私の言葉に、野々村は少し屈んで私の顔を覗き込んだ。
「……いいんだな?」
念を押される。

いつも、ひっかかる。
この人はいつも私を心配してくれるし
私の事をよく知っている。
だけど

彼の気持ちは、全く見えない。


私のこと、何とも、思ってない よね。
それだけは、分かる気がする。
期待するとかしないとか、そんなレベルじゃない。

固定された大前提のように
彼は、私を大事な友達として、扱う。


なのに。
それなのに。



「……もう、いいの。」
分かっていた。

どうすればいいのかも。
全ては、自己満足の域なのだいう事も。


どう行動しても
誰も、傷つかないなんて事はない。
ならば
こんなの、自分だけでいい。

結局、自分が傷つきたくないだけ。
それを認めたくないから
どうにか正当化する方法はないかと逃げ道を探している。


「……明日、来いよ。」
絶対、とは言わなかった。

「行く。」

じゃ、と手も振らずに。
彼は帰る。
私も、その背中を見送る。

彼は、振り返らない。
それも、分かっている。






帰宅してカバンをベッドに放り投げ。
制服を脱ぐ事すら面倒で、そのままベッドに倒れる。

携帯が震えている事に気づいているけど、動くのが億劫で放置する。
部長からじゃないだろうか。
薄々そう感づいているけど、なおさら取る気にならない。

しばらく鳴って、振動は途絶えた。

とてつもない罪悪感に駆られ、吐き気すら覚える。
おそらく、これから
もっと胃の痛くなる思いをする事になる。


少しでもそれに耐えられるように
全てを忘れて
私は、目を瞑ることにした。





母親からの呼びかけにも気付かないほどに、爆睡したようだ。
起きると、朝だった。

「……寝過ぎた……」
全身が重すぎる。

時計はまだ6時を回ったところだった。
今日は、文化祭だ。

やるべきことを思い出して、喉の奥から何か込み上げるものを感じる。
吐くはずがない。
そんな気になるだけ。


制服のまま一晩寝てしまった事を後悔して。
シャワーに行く。

少し前まで、あんなに楽しみにしていた今日が
こんなに憂鬱になるなんて。

逃げ出したい。

何事もなかったかのように、全てを忘れて楽しみたい。
だけどそれじゃまた
同じ事を、繰り返すだけ。

時間は一度きり。
少しでも前に進まないと、もったいない。

邪念を払うかのように、頭からお湯をかぶる。


着替えを済ませてリビングへ行くと、朝食の準備をしている母がいた。
「あら、おはよう。大丈夫なの?昨日死んだみたいに寝てたけど」
あまり深刻そうに心配しない母親で助かる。

「うん、ずっと忙しかったからねー。」
「で、間に合ったの?今日でしょ、文化祭」
「バッチリ。皆に感謝されたぐらいなんだから」
「そう、それじゃよかったわね。」

大丈夫。
胃が締め付けられる思いでも、平気なそぶりはまだ有効なようだ。

「あ、今日パンいらない。何かフルーツある?」
「アンタって子は……夕飯も食べてないのに。そんなんじゃ倒れちゃうわよ」

昨日、倒れましたとは言えない。

「だからフルーツって言ってるじゃん。パンとかモサモサしたの食べる気にならないんだよ今」
そう言って冷蔵庫からオレンジジュースのパックを取り出し、コップに注ぐ。
ついでに物色して見つけた、グレープフルーツを勝手にナイフで真っ二つに切る。

「ダイエットでもしてるの?」
母がいぶかしげに聞く。
「そんなの春でやめたよ。制服ちょっと余裕で着れたらそれでいいかなって」
「ならいいけど。」
そっけなく言って。母はまたこれから起きてくる兄の朝食作りの為、キッチンに向かった。



いつもより少しだけ早めに、家を出る。

そういえば電話。全く確認してなかった。
バッテリーの残量が気になる。
カバンからおもむろに取り出し、歩きながら表示を確認する。

バッテリーは半分だけだった。
微妙。

夕方まで持たないかもしれない。

誰かに充電器借りよう。
そう思ってついでにメールの確認もする。

案の定、部長からの着信履歴2件と、メールが1通。

時刻は昨夜。まったく気付かず寝ていた事に我ながら呆れる。
『お疲れさま。また明日』
短いメッセージだった。

複雑な気分になる。
グレープフルーツで爽やかにいこうと思っていたけど
あっけなく現実に引き戻されてしまった。

彼は勘のいい人だ。
気付いているかもしれない。

それがいい事なのかは、分からない。



早朝の並木道は、通勤に使う人も多い。
学生が多い登校時間に比べて、静かで落ち着く。

少し肌寒い、白い霞んだ空気と風が
秋を呼んでいた。

この季節は、どこか切なく寂しい。
私は、背筋を伸ばして
学校へ向かった。
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