いちばん、すきなひと。
変わる気持ちと、変わらない気持ち。
楽しかった旅行も、夏休みの思い出となる。
あとはこれといった出来事もなく。

美術部の活動も、あれから時間は確実に過ぎているのにーーこの暑さと時に吹き抜ける風が、当時を鮮明に思い出させる。
それが気まずくて、つい部長と時間をずらして参加しようとしてしまう。

彼は午前中に勉強をして、午後からの参加が多い。
だから私は逆にーー朝から美術部へ行き、午後は自分の時間に充てる事にしたのだ。

「そういや宮野さん、今年は朝から来てるのね。前は午後から参加してたのに」
奥田さんがふと気付いて、そう問いかける。

この夏休みで、よく顔を合わせる事が多くなったおかげか。
彼女とは大分打ち解けたように思う。

部長との事があってから、ずっと避けていた人なのだ。
彼女は特に私に対して何か言うわけでもない。
ただ、私が一方的に苦手意識を持ってしまっただけなのだ。
部長と付き合ったが為に。
彼女の気持ちを知りながら、私もまた彼を好きになってしまった事。
結局、野々村も諦めきれずに彼から離れてしまった事。

奥田さんには何も関係のない事ばかりなのだが。
どうしても彼女に罪悪感のような、後ろめたい気持ちがあった。

だけど。夏休みはそうも言ってられない。
毎日のように顔を合わせるのだから。

いっそのこと部活を辞めようとも思った。
だけど、それだと部長に悪い気がしたのだ。
そう思うこと自体、傲慢な考えかと嘲笑がこみ上げることもあったが。
部員が減るというのは誰にでも少なからず残念なお知らせである。
さして人数が多くもない部だとなおさらだ。
だからこそーー残って、自分にできる事はしておこうという気にもなった。

そうすると、必然的に
こうして彼女と普通に会話をする事になる。
「午前中のほうが涼しくて捗ると思ったんです。午後から自分の時間もできるし」

私の無難な返事にああ、と彼女は頷く。
「そうよね、私と同じ考えだわそれ。その方が色々と都合がいいのよねー」
どうやら、好意的に捉えてもらえたようだ。
少し、ホッとする。

昨年の夏休みは何ともぎこちない日々だったので、今年は仲良くできるのかと思うと部活にも出やすい。

「宿題がそれより先に済んでるとベストなのよね。なかなかそうはいかなかったりするんだけど」
彼女はふふ、と笑って目の前の絵を描く作業にまた没頭し始めた。

奥田さんは、私と部長の事について
何か気付いているのだろうか。
だからと言って、それについてはお互い話す事もない。

ただ、微妙な気まずさが残るだけなのだ。

私もそれ以上、彼女に話しかける事もせずに
キャンバスに筆を走らせた。


こうしてーーただ毎日を平和に過ごしていたのだが。
ひとつ、気付いた事がある。
この夏休みに描き上げる絵は、秋の文化祭で展示する予定だ。

そして、その展示で三年生は活動を終える。
運動部で言うところの、引退。
奥田さんや他の先輩と共に
彼もまた、同じ道を辿るのだ。

部長に、会えなくなる。
その日はもう目前に迫っていた。



それでも相変わらず
夏の並木道は爽やかに蒼く。
時折吹く風はあの日の出来事を忘れさせないように、秋の気配を運ぶ。


あれからずっと
なんてことないフリをしていたけど。
きっと、部長と会えるのもあと少し。
そう思うと、これ以上気を使わなくて済むという妙な安心感が沸く。
同時に、もうあの時間は二度と取り戻せはしないのだという喪失感も沸くのだ。

あの時に戻れたらいいのに
そう思う事も正直ある。
だけど例え戻れたとしても
結局、最後に自分は同じ答えを選ぶだろう。
それだけは、言える。



そんな事を漠然と思いながらも
夏休みはそのまま、部長とじっくり話す機会もなく過ぎた。




また、秋が来る。
夏休みの宿題云々でノートを見せろだの騒いだあの日が嘘の様だ。
今年は、静かな始業式だった。

平和だったと思っておこう。


ユキが顔を合わせるなり話しかけてきた。
「麻衣!ちょっと確認してもいい?」
彼女はそう言って私の肩を掴み耳のそばに顔を近づけ、周りには聞こえないよう小さな声で話す。

学校で名前を呼ばれる事に慣れていない私は思わず身構えてしまったのだけど。
あの時あれだけ色々話した仲だ、と納得し
彼女の声を聞くことにした。
「……タケルが麻衣の番号知りたがってるけど、教えていい?」

どうしてしょっぱなからそんな話題なのだ。

「あの後しばらくして、タクミから電話があってね。どうやらタケルが麻衣の事を気に入ったらしいって。だから、教えてもいいかなーって」

思いがけない情報に、少し頬が赤くなるのが自分で分かった。
だけど。

「ごめん。無理!」
「えーなんで?タケルいい子なのに。」
ユキはとても意外だと驚いた。だがすぐに思い直して突っ込む。
「もしかして……夏休み、何かあった?部長と」
あの旅行で、私は部長との事を暴露した。
実は昨年付き合ってる人がいましたーと。

でも結局。
野々村の話はできなかった。
リアルすぎるからだ。

ユキは同じ元クラスメイトだ。
尚更そこは譲れない。

というわけで、彼女がそう勘ぐるのも仕方ない事だろう。
だけどそうではない。
部長どころか他の誰とも何もない。

「残念ながら何も無いんだけど」
「じゃ電話くらいいいじゃん」
「ダメだって。ホラ、話したでしょ。友達の元カレの事……あーなるのも嫌なの」
単なる電話友達のつもりが、そうじゃなくなって結局友達になれず終わっちゃう。
彼が私を気に入ってくれてるなら尚更だ。

変に思わせぶりな事はしてはいけない。
何より自分が
そこに飛び込む自信が無いからだ。

「別にタケルは誰の元カレでもないじゃん。しばらく仲良くしてみて、ダメならそのまま友達のままでさ」
ユキは私の断る理由が理解できないらしい。
「私もそれができたらどんなにいいか……」
私の溜息に、彼女は何か察したらしい。

「うーん、仕方ないかー。麻衣は結構頑固だよね。」
「よく言われる」
二人で笑って。
「タクミにはテキトーに断っておくわ。でも、皆がこっち来た時は一緒に付き合ってよー!」
それは約束だから参加する、と頷いて。
なんとかその場を凌いだ。

タケルくんは確かにいい人そうだった。
花火も楽しかったし、かき氷の件もさりげなくて私も気楽だった。
ちょっと強引なところは私の好みではあるのだけど。

どうしても、彼と比べてしまう自分がいる。

諦め切れていない証拠だ。
情けない。


少し前の自分なら、喜んで飛び込んだであろう。
けれどーー
部長との事で、次からは中途半端な気持ちで付き合ったりしないと決めた。

だからこそ。
あの人を忘れられるくらいに
好きな人ができるまで
きっと、私は恋に踏み出せないんじゃないだろうか。

それはそれで、悲しい。
だけど
それができた時は、本当に素敵な恋になるんじゃないかとも思うのだ。


そうだ。
だからこそーーそれに気づかせてくれた彼にも
感謝の意を込めて、ちゃんと見送ろう。
そう、心に決めた。

文化祭まで、あと少しだ。
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