いちばん、すきなひと。
冬休み
部長としては、冬休みもちゃんと部活動に励む。

前代の彼がそうしていたように。
彼をなぞらえるのは少し痛みがあるけれど。
伝統を引き継ぎたい気持ちで、同じ事をする。

朝の澄んだ空気を吸い込んで、気合いを入れる。
先輩がいなくなると、気が緩むのはどの部活でも同じだ。
春、新入生が来るまでは人数も少なくなる。
ここが、頑張りどころでもある。

一番に部室の鍵を開け、軽く掃除を澄ませる。
寒いけど清々しい気分だ。

描きかけの絵を取り出し、イーゼルに立てかけると
ガラリと部屋の戸が開いた。

「おはよ……」
にこやかに笑顔を作り、振り返った私は途中で言葉を失った。

「おはよう。こんな早くから来てるとはね。驚いたよ」
ついこの間ーー背中を見送った彼が、そこにいる。

「先輩こそ…どうしたんですか」
「いや、ちょっと気分転換に、ね。忘れ物を取りに来たついでだよ」
そう言って、彼は部室の奥にある戸棚を開け、ゴソゴソと何か探している。

「明日、試験なんだけどさ。お守り代わりに」
そういって戸棚から取り出したのは
「……鉛筆?」
「そう。ここでずっと使っていたヤツなんだ。もう短くて使えないんだけど」
デッサン用の鉛筆。
「先輩は……美大でしたっけ。本命。」
「そう、明日が本番。で、思い出して今来た」
「何で今なんですか。直前じゃないですか」
ちょっと笑ってしまった。
何故今ごろ思い出したのだろう。

「自分でもちょっとおかしいんだけどね。何かいつもと違うなってずっと考えてて……あぁこれだ、って思った」
少し照れ笑いをして、彼はそう説明する。
「この感覚なんだよ。何て言えばいいのか分からないんだけど。この美術室の空気が好きだったのかもしれない。」
「……あぁ。それはちょっと分かります。落ち着きますよね、ここ」
独特の匂い。
だけど何だか落ち着く。

「そう、だから何かここの物があれば……と思って。この鉛筆が一番手に馴染んでるしね。」
「まさかそれで明日描くんですか」
「まさか。短くて使いにくいよ。」
彼は肩をすくめておどけたそぶりをする。
「じゃなんでわざわざ……」
「持ってるってだけでちょっと違うかもしれないだろ?それと」
ふわり、と頭に手を乗せられた。

「……麻衣ちゃんの顔がちょっと見たくなったから、かな?」
心臓が止まりそうになる。

「…………」
どう反応していいのか分からない私の顔を見て彼は困ったように笑う。
「もう、そんな顔しないの。俺帰れなくなるじゃん」
「……先輩そんなのズルいです。」
「お互い様だよ」

そうかもしれない。

二人で目を合わせて。思わず笑う。
もう、あの距離ではないけれど。
それに納得できたから
こうしてお互いに笑う事ができる。
それだけで、よかった。

明日の試験、少しでも元気づけられるだろうか。
こんな私でも。

「先輩、頑張ってくださいね。」
「うん、ありがとう」
それじゃ、と手を上げて
美術室の戸を開ける。
「……上手くいったらまた来るよ。OBとして相談役にはなれるかな?」
「皆で楽しみに待ってますよ」
私の返事に彼は満足そうに笑って、戸を閉めた。

途端に廊下から声が聞こえる。
誰かに出くわしたようだ。
状況が想像できて少し笑ってしまう。

数分後、由香が勢い良く入ってきた。
「みやのっち!!部長が!!」
「来てたね。私も会ったよ」
「えー!!みやのっち部長と二人きりで!?」
「偶然だよ、さっきここに来て忘れ物とかなんとかって」
「きゃー!私も早く来たらよかったー!」
「さっき廊下で会ったならいいじゃん、一緒だよ」
「えー!」
もっと話をしたかったのに、と文句を言いながら由香は準備を始める。

少しだけ、優越感。
ごめん由香。

だけど、本当に、今はそんなんじゃないから。
彼に会っても、もう涙も出なかった。
その事にホッとした。






ほどほどに作業を進めて、お昼前に私は活動を切り上げる。
午後からの子達に戸締まり等の連絡と、外が暗くなるのが早いので下校時に注意する事を念押しする。

午後からは、図書館にでも行こうか
そんな事をぼんやり考えながら並木道を歩く。

銀杏の葉もすっかり散ってしまった。
寂しい景色だ。
これはこれで、情緒ある風景なのだが。

はぁ、と吐く息が白くて。
思わず空を見上げる。
灰色がかった空が、なんとも言えない切ない気分にさせる。

彼に会ったからだろうか。
こんな気分は久しぶりだ。
忘れていたものを思い出したような。

「……さみしいって感じ」
「何それ」
後ろから突然かけられた声に心臓が口から飛び出そうになる。

「オマエそんな大きなフツーの声で独り言とかヤバイ人みたいだぞ」
「……の、野々村……いつからそこに」
「え、さっき。みやのっちの後ろ姿が見えたからちょっと走ってきただけ。オマエ全然聞こえてねーんだもん」
「あ、ごめん考え事してた」
まさか背後の人物まで気付かないとは。
不用心すぎるだろ自分。
少し、凹んだ。

ここは気分を切り替えよう。
「ところで何でこんなトコに……って部活帰り?」
「そゆこと。それにしても久しぶりだな。」
「何が。」
この間会ったばかりだろう。しかも英語の授業では毎回顔を見る。

「こうやってこの道を歩いて帰るのが、だよ。」
「そういえば……そう、だね」
二人でなんて、珍しい。
ちょうど、一年前だろうか。

「そういやオマエ、今年も俺は見たぞ」
「何が」
「文化祭の絵。コンクール無かったの?」
「あー今年は無かったから……って何で見てんのさ」
「展示されてるんだから見てもいいだろうが。なんで怒ってんだよ」
「いや別に怒ってないけど」
「そうか、んならいい。やっぱみやのっちスゲーな、ダントツで上手いじゃん」
「んなコトないよー皆上手だよ」
「で、オマエ部長なったんだろ。聞いたぜー由香から」
「あ。」

そうか、由香と野々村が同じクラスなのか。
今頃気付いた。遅いだろうけどそんなの知らない。

「オマエ部長大好きだったから大泣きしたって由香から聞いたぞ。」
「えー!何言ってんのあの子!自分の事棚にあげてー!」
酷い言い草だ。
よりによってなんでそれがコイツの耳に。
最悪。

私は知られたくなかった部分がバレたショックで卒倒しそうになった。
目眩がする。
クラクラする頭を必死で押さえて。弁解する。
「あのね……そりゃ部長は素敵な人だったよ。絵もすこぶる上手だし部員をまとめるのも上手くて。だけど大好きって表現はちょっと語弊がさ……」
「でも泣いたんだろ?」
野々村がニヤニヤと突いてくる。
「るさいっ!泣いたら悪いかバーカ」
「悪かねーよ。別に」

その言葉が、何故か。
とても優しいのに
冷たくて。
その事に泣きそうになった。

きっと、私の事なんて眼中にないから
そんな風に言えるんだ。
でも、勘違いだけはしないで欲しい。
私が選んだのは、アンタなんだと。

でも、それをここで言えない自分が
またもどかしい。

「いいのか、それで」
「何がよ」
「部長、好きなんだろ。」
「違うってば。そんなんじゃないんだから」
「じゃなんで泣いたんだよ」
「だーかーら!由香の情報を鵜呑みにしすぎだって。由香のほうが多分部長好きだったよ」
「え、それでオマエ遠慮してるとか」
「だから遠慮とかそんなんじゃなくて、好きってのは尊敬するって意味で……」
何を必死で言い訳しているんだろう私は。
虚しくなってきた。

「もういいや。済んだ事はもういい。」
「何それ」
「部長は引退したし、それはそれでおしまいってこと。私はそういう好きとかじゃないからそれでいいでしょって事。」
「ふーん、面白い話が聞けると思ったのに」
「ホラ、結局そこでしょ。」
「バレたか」

要は、私をからかいたかっただけだ。
ムカつく。

指摘されていたずらっぽく笑う彼の笑顔を、まぶしいと思ってしまう自分が嫌。


こうして。
私とコイツの距離は変わることなく過ぎていくんだろう。
有り難いけど、虚しい。
私が感情を込めて彼を見つめたら、彼は気付いてくれるんだろうか。
伝わるんだろうか。

でもそれをここで試す勇気もない。
情けない話だ。

「さびしいとか何とか言ってるから、てっきりその話かと思っただけだよ。」
そうやって、何気なく心配してくれてるようなそぶりがまた。
「さびしいんだよ、この季節は。」
「そうだな、そんな気分はするな。」
人のぬくもりが欲しい、なんて思った事なかった。
少なくとも今までは。
それなのに。

「あー誰かあっためてくれないかなー寒いわっ!」
半分ヤケになって叫んだ。
これで伝わればいいのに。

「早く見つけろよーそんな人」
「るさいっ!オマエに言われたかねーよ!」
ほら、そうなる。
だから腹立つんだよ。

「んだよみやのっちーカルシウム足りてるか。」
「毎日牛乳ガブ飲みしてるから大丈夫」
「相変わらずの切り返し健在。」
野々村は笑って、私の背中をドンと叩く。
「だーいじょうぶだって。みやのっち面白れーから」
「何の大丈夫だよそれ」」
ひひ、とまた笑って。
くだらない話をしながら、二人で歩く。

あの頃と全く変わらない。
その事に少し、安心した。

離れても変わらない気持ちもあるもんだと、自覚した。
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