いちばん、すきなひと。
強行突破
帰宅するなり何を言い出したのかと
母は私の顔を見て、眉間にシワを寄せた。

「……どうして」
「私が自分で行きたいと思ったから。」
母の言葉を遮るように、私は話を続けた。
「お金出してもらうのはお父さんお母さんだけど、だからこそ適当な選択はしたくないの。」

母は何か言おうとしたが、ため息をついて
何か言葉を探していた。

ここでまた父親に話して、などという展開はまっぴらごめんだ。
私は鞄から封筒を取り出し、母の前に突き出す。

「ここなら、試験に受かればお金もそんなにかからないし。授業料は無理だけど画材とか必要なものは自分でバイトして買うから。どうせ行くなら将来役に立つ所がいいの。」

専門学校のパンフレット。
『奨学生』の文字が入ったページに付箋を付けて、願書と共に挟んでいる。

この学校は、奨学生の試験に受かれば入学金は免除。
そして初年度の学費が半額になるという制度があるのだ。

だからといって、それだけで選んだのではない。
内容も、立地場所も、申し分ない所だった。

「今度、見学会があるから……気になるなら一緒に来て」

あれから、ずっと考えていた。
具体的に将来を考えるというのは、どういうことなのかと。

漠然と、絵に関わる仕事がしたいと思っていただけだった。
具体的には、どんな仕事があるのか、なんて考えてもみなかった。
もちろん、漫画家やイラストレーターという職業は何となく理解している。
ただ、それを今から本気で目指すのは無理なんじゃないかとも思っている。

あれはやっぱり、選ばれた人、絶え間ない努力をした人だけが歩める道なんじゃないか。
漠然と考えているだけでは、決してなれない職業。

絵が好きだけど、画家も食べていけるとは到底思えない。
最低限の生活費が稼げる人間にはならないといけない気がする。

それじゃ他に一体何があるのかと。

そう思いながら手に取ったパンフレットで、
デザイナーという文字が目に入った。

これ、かもしれない。
そう思った。
ただの閃きだが
私にとっては運命の出会いだったのだ。

デザイナーと一言でまとめているが、内容は様々だ。

広告を扱うグラフィックという分野はもとより、雑誌ならエディトリアルというジャンルになるらしい。
家具などのインテリアもそう。
工業製品を扱うならプロダクトデザイン、というように様々な道がある。

まずはその基礎になる知識を、学校で学べば良いのではないだろうか。
そして自分に合ったものがあれば、より深い分野を自ら選んでいけば良いのだ。

カリキュラムも2年でそうなるように組まれているそうだ。
1年間の授業で、より学びたい分野にクラス変更も可能らしい。

今までに見たどの学校案内よりも、詳しく記載されており、分かり易かったのが決め手だ。
ここなら、自分の道を歩めそうだ。
もう、ここしかない。


そう思って、書類を鞄に入れていたのだが
親に面と向かってそれを伝える勇気が無かった。

そう、松田と話すまでは。


やっぱり言われた通りの道を歩んだほうが
親孝行なのでは、と悩んでいた。
学校見学にすら来てもらえない
話を分かってもらえない
愛されていないんじゃないかとすら感じる私にとって、親の言いなりになるのが一番平和な道に見えたのだ。

だけど。
自分の人生なのに、それでいいのかと。
結局、うまく行かなくなった時の言い訳にしてるんじゃないか。


そう考える自分がいて
ずっと、考えないフリをしてきた。


だけど、松田と話して
つい、話しそうになった自分の心。
素直に後悔しない道を選びたい。


母は私の言葉を聞いて、しばらく考え込んでいたようだったが
「……見学会はいつ?予定、あけておくわ。」
ため息混じりにそう言って、昼食の準備を始めた。

見学会の日取りを連絡して、私は心の中でガッツポーズをした。
第一関門クリア、だ。

母の次はもちろん、父だ。


ところが。
父からはその後も何も話す事がなかった。

母から話くらいは耳にしているとは思うのだが。


数日後、母と学校の見学会も参加し、
全てがスムーズに進みすぎて怖いくらいだった。

母は何故か態度がガラリと変わっている。
「思ったよりイイ所じゃないの」
確かに、設備は最新のーーまだ新しい学校だ。
建物にもそれらしき雰囲気がある。

「ここなら、麻衣も楽しんで通えそうね」
一体、何を言うのだろうか。

本当に、そう思っているのだろうか。

一度崩れた信頼はそう取り戻せるものでは、ない。


私は、一緒に来てくれた事に胸をなで下ろしたが、
母の言葉はまったく心に響かなかった。

それでも
自分の選んだ道を進めるというのは心地が良い。


新学期が始まるや否や
私は上機嫌で、進路決定を担任に伝えた。



「ーーそうか。それなら後は頑張るだけだな。先生も応援するからな」
先生はホッとした顔をしていた。

まだ大学も諦めるな、とも言われたが
私の意思を確認したかったのだろう。

進路が決まると、途端に心が軽くなった。
大学受験に向けて猛勉強というプレッシャーもない。


「麻衣、なんか気楽そうだね。いいなぁ」
ユキが私の近況を知って、溜息をつく。
そりゃそうだろう、彼女はこれからが本番だ。

どうやら、かの従兄弟と同じ大学を目指すらしい。
何やら凄い事になりそうだ。
面白半分の興味もあるが、なにより本当に応援したい。

ユキもこの夏で色々悩んだそうで。
そりゃそうだろう。従兄弟と同じ大学なんて親が何と言っただろうか。
それでも、曲げられないものがある。

そこは私も同じだった。
だからーー応援したい。

「ユキもこれから大変だよね……頑張ってね。」
できる所は協力するよ、とお決まりな台詞も加える。

「みやのっち、進路決めたんだって?」
どこから聞いてきたのか、松田が話しかけてくる。

「うん、この間はありがと。やっぱり私ーー専門学校にしたよ」
「そっかーみやのっちならどこ行っても大丈夫だろ。」
どういう意味だそれ。

私の呟きを流すように、はははと笑い飛ばして
「俺も、専門にしたんだ。まーみやのっちほどカッコイイ理由じゃないけどさ」
「そうなんだ。でも松田ならそーいうトコの方が合ってる気がする。」
「頭が悪いってか。」
「違うって」

本気で否定しようとする私の頭をくしゃりとひと撫でして
松田は笑った。

その笑顔が、また可愛くて。
思わず足元が揺れそうになる。

だけど。
やっぱり、彼の側には
アイツを探してしまう自分がいて。


「それでもとにかく卒業しないとヤバイしな。」
だからホレ、とまた右手を出す。
「……何それ」
「次、英語だろ?」

またか、と私は溜息をついて
「いい加減、自分で努力したら?やればできるんだから」
「だからやらないの。合理的にいこうぜー」

松田はそう言って、私の手から英語のワークを奪い取って行った。


一連のやりとりを側で見ていたユキが一言こぼす。
「……なんかさ、最近の松田って変わったよね」
「そう?」
確かにちょっと思う所はあるのだが、頷く訳にもいかず。

ユキは腕を組み私と彼を見比べて
「……松田と何かあった?」

鋭い。

ユキの勘の鋭さには感服する。
だけど素直に反応してはいけない。

「何にも。相変わらずの会話しかしてないじゃん」
だよねー、と私の言葉に頷いて彼女は再度、松田を見た。

「何だろう……野々村とキャラが似てきてるのかな」
「え?」
「ほら、麻衣との会話のテンポがさ、程よくフザケる感じとか」
「……なんで私との会話でそんな分析するのさ……」
ユキが何を考えてるのかよく分からない。

だけど。
それは少し、思う。

ふとした言葉や態度が
野々村のそれと重なる事がある。

それが私にとって
いいのか悪いのかーー

「もしかして。松田って麻衣の事狙ってんじゃないの?」
「まさかー」
私は思わずオーバーにのけぞった。
修学旅行の一見が頭をよぎったからだ。

「だってさ。野々村と麻衣がいい感じだった頃と似てるんだもん」

ドキリとした。
彼女は何を言っているのか。

「……何よ、私と野々村がいい感じだった、って」
そんなのないない、と大袈裟に手を振って笑い飛ばす。
心が、きしんだ。


「一年の時とか、すっごく仲良かったじゃん。それを思い出すんだよねー」
確かに、あの頃はよく野々村とくだらない会話を繰り返していた。
松田もそこに入ってはいたが。
「松田はさ、どっちかって言うと野々村の後ろについてチョッカイ出してる感じだったじゃん」
「うーん、確かにね……」
「それが、野々村が居なくなってそのポジションに松田が居る感じがするの。」
「……そう?」

ユキの言葉が分からないワケでも、ない。
そうなのだ。
あの修学旅行の一件以来、どうも私は彼に対して首を捻る事が増えた。

そしてーー
彼に支えてもらう事も増えている。

だけど。
この気持ちばかりは
どうしようもない。

恋も、進路みたいに
強行突破できれば、いいのにな。


英語のワークを必死に写す松田を遠目に見ながら
私は心でそうボヤいた。
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