淡雪
「奈緒殿、芝居に行きませぬか?」

 家にいた奈緒の元に、良太郎がやってきた。

「面白そうな出し物が来ているのですよ。ぜひ奈緒殿と、と思って」

 少しはにかむ笑顔がやたらと爽やかだ。
 きっちりと髷を結い、綺麗な羽織袴姿の良太郎は、いかにも育ちのいい好青年である。

「まぁ良かったこと。いってらっしゃい」

 ここしばらくの暗い空気を追い払うように、母親が奈緒の背を押した。
 晴天の空の下、並んで歩く奈緒と良太郎は、誰もが認める似合いの二人だ。

「お侍さん! そちらのお姉さんに、これ買ってあげなよ!」

 小間物屋の店先で、小者が簪片手に良太郎を呼び止めた。
 足を止め、店先に並んだ簪を見た良太郎が、照れたように頭を掻く。

「いやぁ、私はこういうのはさっぱり。奈緒殿、どういうのがお好きですか?」

「え?」

「こういうのを、さっと選んで差し上げられたらいいんですけど。いや無粋で申し訳ない」

 赤くなって、しきりに照れる良太郎に、思わずほっこりしてしまう。
 店の小者が、にやにやしながら良太郎と奈緒を見ながら玉簪を一本差し出した。

「羨ましいねぇ、お嬢さん。じゃあこれはどうだい?」

「本当だ。奈緒殿、よく似合っている」

「本当ですか?」

 にこりと笑って大きく頷く良太郎に、奈緒は恥ずかしくなって俯いた。
 ここでは笑顔を向けるのが正しいのだろう。
 だが上手く笑えない。

 嬉しくないわけではないが、良太郎のように眩しいほどの笑顔に応えるのは恥ずかしさのほうが勝ってしまう。
 まして、このような店先で。
< 15 / 127 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop