淡雪
 そのまままた往来に目を投げながら団子を食べ終え、奈緒は腰を上げた。
 そういえば、良太郎を放ってきてしまった。
 まだ家に帰っていないとなると、心配するだろう。

 帰ろう、と来た道を戻り、通りがかりにさっき女子が入った道を見てみた。

「……あっ」

 路地といっていい小さな道のどんつきに、小さな建物がある。
 その入り口には『舟雅』と書いてあった。

「こんなところに」

 呟き、何となく小道に入って建物に近付いてみる。
 確かに目立たなく小さいが、寂れた様子はない。

 もうちょっと開放的にしてくれれば中の様子も見れるのに、と思っていると、不意に背後で足音がした。
 振り向くと、角を黒坂が曲がってくる。

 隠れようにも、ここは小道のどん詰まり。
 両脇はすぐに他の建物が迫っているし、場所を変えるにも黒坂の横を通らねば他の道には出られない。
 おたおたしているうちに、黒坂の目は奈緒を捕らえた。

「……こんなところで何やってる?」

 特に表情を変えず、黒坂が言う。

「あ、あの……。し、知り合いが近くにいるもので……」

 咄嗟についた嘘に、黒坂はただ、ふーんと呟いただけ。
 そのまま奈緒の横をすり抜ける。
 そして、慣れた風に宿の戸を引き開けた。

「黒坂様は、ここにお住まいなんですか?」

「いいや」

 あっさり否定し、中に入る。
 黒坂の向こうに、女将らしき老婆が出てくるのが見えた。
 何らかの事情を初めから承知しているらしく、すぐに階段のほうに促している。

 が、それが見えたのは一瞬。
 宿の戸は、すぐにぴしゃりと閉じられた。
 それが何となく、黒坂に拒否されたようで、奈緒は一人、しばらくその場に佇んだまま宿を見つめた。
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