淡雪
「父親は一命は取り留めたが、結局傷が元で死んじまった。母親は投獄。黒坂様は、それからは一人だ」

「だったら黒坂様は、あなたのことを恨んでいるのではないですか?」

 元々余裕のない家に音羽を引き取ったが故に起こった悲劇ではなかろうか。

「さぁね。でも黒坂様は、わっちを好いてくれた。だからこそ、わっちをおもちゃにしていたお父上にも、わっちを追い出した母上にも怒りを覚えた。けどまぁ、両親だしね、複雑でもあったろうよ。てことを、黒坂様から聞いたことはある」

 九つで廓に売られ、今の揚羽と同じように禿として買い物に出るたびに、黒坂を探したという。
 情報収集には、花街はいいところだ。
 いろいろな人間が出入りする分、情報もよく入る。

「再会できたのは十二のときか。黒坂様は二十二だったから、まだ幼かったわっちは黒坂様が誰ぞと夫婦になってるんじゃないかとひやひやしたものさ」

「昔はやっぱり、そう思ってたんですか。今は、黒坂様が誰ぞ娶ってもいいと思ってるんですよね」

「当時なんかガキだよ。遊女というものがどういうものかもよくわかってない。好いた男に落籍されたら、普通の娘と同じように幸せになれると思ってた。とんでもない話だよ。身請け話を持ってくるのなんざ、いい歳した爺しかいやしない。落籍されたって、せいぜい妾だよ。常に蔑まれる存在だ」

 音羽の口元に、自嘲の笑みが浮かぶ。

「女郎になった時点で、黒坂様との将来なんてない。どんなに焦がれたって、一介の浪人に身請けできるだけの金を用意できるはずないさ。だったら頂点を極めて束の間の自由を手に入れる。その時だけ、黒坂様の妻になれればいいと思ったのさ」

「再会してからずっと、黒坂様と会ってるんですか」

「そうだね。初めはほんとにちょろっと、立ち話しかできなかった。こっちも禿で時間もなかった。わっちが新造になってようやく、ここを利用するようになった」

 奈緒は、じ、と音羽を見た。
 音羽が十二のときに、黒坂は二十二だと言った。

 遊女の最盛期は十八ぐらいから二十二ぐらいか。
 とすると、音羽と黒坂の付き合いは、もう五、六年になる。
 ただそれは、二人で会うようになってからの話で、実際はもっと昔から知っていた、ということだろう。

「花魁は、黒坂様に私が嫁いでも構わないんですよね?」

「……嫌だけどね。黒坂様が承知したなら、わっちにはどうすることもできないよ」

 黒坂は承知したわけではない、と心の中で思い、奈緒は唇を噛んだ。
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