淡雪
「奈緒。奥に行っていなさい」

 母親が慌てて奈緒を引っ張り、襖を閉めた。

「あんな綺麗なお嬢さんがおられるのでしたら、なおさらうちとの信頼関係をきちんとしておいたほうがよぅございますよ。うちをやめて他でこのような借金を重ねてごらんなさい。あの娘さんを、形に取られるのがオチですぜ」

 札差・小槌屋 金吾(こづちや きんご)が声を潜める。
 左衛門が項垂れた。

 小槌屋の言う通り、他の札差に手を出せば、そのような最悪の事態を招きかねない。
 小槌屋は比較的良心的な札差なのだ。

 店は小さいが、かなりの無理を聞いてくれる。
 だからこそ甘えてしまった。

「うちとしてもね、高保様相手に対談方を使うようなこと、したくねぇんですよ」

 その言葉を、奈緒は背中で聞いた。
 対談方とは、札差に雇われて、金の取り立てを行う者のことだ。

 出張るのは大抵最終段階なので、荒っぽい手段に出ることが多い。
 それ故、腕の立つ浪人が務めることが多い。

 あの人が。

「わ、わかった。新たな無心は諦める。返済については、もう少し待ってくれ」

 左衛門の言葉に、ふぅ、と大きなため息が重なった。

「こちらとしても、顧客を失うのは避けたいですからね。くれぐれも馬鹿な真似はしないでくだせぇよ」

 そう言い置いて、札差は腰を上げたようだ。
 人が動く気配がし、足音がいくつか入り乱れる。

 奈緒は庭から外に出た。
 少し先で、札差は駕籠に乗り込んだ。

 二人の小者が駕籠について走り出す。
 それを、あの男だけが見送った。
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