花の名前
彼方の星

1

 設計の第一段階はエスキスと呼ばれるスケッチだ。

 敷地の面積や法令による規制、予算などから算出した延べ床面積を元に、必要な部屋を割り振っていくのだけれど、まずは大まかなイメージを膨らませていくところから始める。
 道路からのアプローチは、牧師夫人が丹精込めて手入れした花壇があって、これはそのまま生かしたい。
 とはいえ、幼稚園バスの出入り口も必要だし、現在の敷地の一部を建築費用捻出の為に売却するから、こっちの道路から入る事になる。考慮しないといけない点や制約が多いけど、やっぱり四角い豆腐みたいな事務所ビルより、こういった案件の方が、設計するにしても楽しいし、ワクワクする。
 今日の昼休憩に、会社近くの写真屋へ取りに行った写真を見ながら、現在の教会や幼稚園の配置を頭に入れつつ、動線を思い描いていく。
 その空間の中を、歩くように―――

 でも、その右下の日付が目に入った瞬間、現実に引き戻されて、思わずため息をついた。

 あの日から3日経っていた。

 カズとはあれから会っていない。
 日中に帰ってきているかもしれないけれど、少なくとも、夜は“家”で寝ていない…と思う。
 この寒空の下、一体、どこで寝てるんだろう?
 近いから実家…は無いか。
 大学の友達とか―――適当な女の子のとことか?
 まさかね…そこまで考えて苦笑する。あんな事の後で、他の女の子とか、そんなヤツと同居しようとは思わない。カズには見る目が無い、と言われたけど。

 再びため息をついて、机に突っ伏した。
 何でこんな事になっちゃったんだか。
 全然そんな気配(?)とか無かったし、亜衣子サンに言われるまでも無く、女の子に不自由しないだろうと思う程には、見栄えも良い…ヘンなヤツだけど。
 だから、男とか女とか、そういうのは無いと思ってたのに。
 目を閉じると、カズの柔和な笑顔が浮かぶ。
 考えてみると、あまり怒ったり機嫌が悪かったりというのを見た事が無かったと思い当たる。それはつまり、カズとは、喧嘩をするほどに近しくなかったという事だと気が付いて、少しだけ淋しさを覚えた。
 正直なところを言えば、今住んでいるアパートの家賃は、一人でも払えない事は無い。それなりの給料は貰っている。
 でも、一人で住むには広すぎる。
 このまま同居を解消するなら、引っ越さないと―――ボンヤリとそう思った時、デスクの上に置いていた携帯が振動した。
 会社で鳴らすと嫌な顔をされるので、仕事中はずっとマナーにしている。そのまま解除せずに鞄に入れていると、電話がかかっても気付かないので、業務時間が終わった後の残業中、出しておくようにしたのは、カズに言われたからだ。
 出ないんじゃ、携帯してる意味ないよね?と。

 机に顔を付けたまま何の気なしに手に取って開き、画面表示された名前を見て、ガバッと起き上がる。
 “カズ”、と出ている名前を見つめて、ゴクリと息を呑んだ。5回ぐらい鳴ったところで、意を決して通話ボタンを押す。
「…もしもし?」
「あ、良かった!―――トーコサン…ですか?」

 聞いたことの無い、男の声だった。



 ザリザリと音を立てて、砂利を踏みしめながら、学生向けアパートの駐車場に乗り入れた。
 現場に行く時用の車は機材とかも乗せられる軽のバンだ。

 電話をかけてきたのは、大学で同じゼミの友人だと言っていた。
「すごい熱なんですよ!」
 と言った彼の声は、ちょっと怒っているようにも聞こえる。体温計が無いからわからないけど、スゴい熱くて、震えている―――なのに、救急車なんて呼ぶなときかなくて困っているのだと。
「それでなくても、ずっと俺んちに居座ってて…」
「…す、すみません…」
 思わず謝る―――何か間違ってる気がしなくもないけど。
 病院連れて行くにしても足が無いと言われ、社用車を無断借用させてもらった。まだ会社に居て、ホント良かったと思う。
 指定された部屋のインターフォンを鳴らすと、蹴破る勢いで中からドアが開いた。意外にゴツくて大きい男の子(?)が、顔面を覆うようにバンダナで口許を隠している。
「はー、助かった。」
 肩を落としてバンダナを外すと、チラッと中を見ながら、ナイショ話をするように顔を寄せてきた。
「たぶん、ですけど、“インフル”じゃないかと。」
「えっ?!」
「だって、いきなりガタガタ震えだしたんですよ。この部屋寒すぎとか言って。」
 インフルエンザの症状が良くわからないけど、カズの額を触って、確かにただ事では無いと実感した。―――その位、熱い。
 触られたカズが薄らと目を開けて、次の瞬間、大きく見開いた。
「…んで…」
 掠れた声に、思わずドキリとする。咄嗟に額をぺし、と叩いた。
「ばかじゃないの?」
 そう言い捨てて、持ってきていたコンビニの袋から冷却ジェルシートを取り出して貼り付けた。大丈夫、手は震えてない。
「ほら、病院行くから、起きれる?」
 そう言いながら、肩を貸そうと差し出した手を押し退けながら、カズが彼を睨み付ける。
「なんで、呼んだ…」
「しょうがねぇだろ?! 大体お前、電話帳登録少なすぎんだよっ! まともに履歴あんのも、コノヒトだけだし!」
 なるほど、それでか…と思いながらため息をついた。とりあえずは病院だと思う。
 嫌がるカズを半ば無理矢理引き立てて、バンの後ろに乗せる。後部座席は会社を出る前に倒して、荷台にブルーシートを敷き、仮眠用に置いていた毛布を積んでいた。
 毛布でカズを簀巻きにし、運転席に乗り込む。
「トーコサンって、男前ですね~。」
 窓から覗き込んだ“彼”が、ギアチェンジ用のシフトレバーを見て言った。古いこのバンはマニュアル車だ。確かにオートマ限定免許が出来てから、主に女性を中心にそっちが普及しつつある。後輩の男の子も限定免許で、慌てて教習所に行っていたっけ。
 でもそれで男前なんて言われるのは微妙な気分だけど、とりあえず色んな意味でお世話になったのは確かなので、苦笑しながらもお礼を言って、車を出した。

 カズは眠っているのかふてくされているのか、黙って大人しくしている。
 会社を出る前にインターネットで調べた病院に向いながらため息をついた。

 このまま大人しく診察を受けてくれればいいんだけど―――と願いながら。
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