花の名前
2
「これ、全部持ってきたの?」
夥しい量の本に絶句した。
文庫本に留まらず、ハードカバーや、古典全集なんかまである。読書家なのは知っていたけど、どんだけ本につぎ込んでるんだろう?
「置いてかれても困るって、言われたし。ちょっとだけ、リビングの方にも置かせて貰っていいかな?」
「ああ、うん、いいよ。」
言いながら、片付けを手伝った。
こっちは服とノートパソコン位しかなかったから、もう片付け終わってるし。
ありがとう、晩御飯は奢るよと言うから、そこは甘えることにした。
年齢の事とか、就業年数とか、性別とか。細かく考えるときりが無いからと、家賃と水道光熱費はとりあえず折半することにした。仕事を家に持ち帰ったりするようなら、ちょっと話し合いしないといけないだろうけど。
「リビングとトイレの掃除は土日にするとして、お風呂場はどうしようか?」
「一日交替で、朝か夜、楽な方ですればいいんじゃないかな?」
言いながら、ちょっとここ寄っていい?と、輸入雑貨の店へ入っていく背中を追いかけた。謎の調味料や食材に加えて、フライパンのセット等々、キッチンツールを籠に放り込んでいく。
「カズ、料理するんだ?」
「うん、あ、ダメ?」
「や、いいけど…」
「パスタとかカレーとかしか作れないけどね。作ったらトーコさんも食べる?」
「あー…」
「ちゃんと対価貰うから、大丈夫だよ。」
なら、いいか…と頷くと、良かったと微笑んだ。
同居するにあたり、カズに1個だけ頼んだ事があった。
―――絶対に、あたしを甘やかさないで。
「掃除とかって、やらなくなるとホントにしなくなっちゃうから、ちゃんと声かけてやらせて。」
カズは地元の高校で国語教師になるから、あたしより規則正しい生活になる。だからと言って、色々任せるんじゃあ、割に合わないでしょ?と。
同居する以上は、対等に。
意固地だな、と自分でもわかってたけど。
「…カレールーって、作れるんだね…」
キッチンで炭酸水を飲みながら呟いた。
何か色々買ってるな~とは思ってたけど。
「これ位しか作れないけどね。」
とか言ってるけど、謙遜のつもりなんだろうか?この分じゃ、パスタもかなり本格的に作りそうだ。―――だって、輸入ものの聞いたこともないヤツ買ってたよね?
何だか知らない鼻歌を歌いながら、玉ねぎを丁寧に炒める横顔は、整ってはいるけど色白で、あまり男らしさは感じられない。
まあ、だから一緒に住む気になったんだけど。
「お店開けるんじゃないの?」
「ええ?それはムリだよ。」
鍋から視線を外さないまま、楽しそうに笑う。
その横顔に、あの人達の笑顔が蘇った。
―――ずっと、夢だったんです。自分達の店を持つのが。
そう言いながら、ふっくらとした奥さんのお腹を撫でて、ご主人(オーナー)が微笑む。
―――この子の為にも、頑張らないと。
ひゅっ、と息が上がる。
鼓動が激しくなって、胸を押さえた。
いけない、また―――そう思うのと、反対の手に持ったペットボトルを取り上げられるのが同時だった。
背中に回された腕に抱き寄せられて、柔らかなネルのシャツが頰に当たる。
「落ち着いて。」
静かな声が耳元で響く。宥めるように背中をトントンとされると、動悸が治まってきた。
シャツに顔を当てたままで鼻から息を吸い込むと、清潔感のある石鹸のような香りに、微かなスパイスが混じっている。カレーによくある香りと、後は―――
「…ありがと、もう大丈夫。」
そう言って、胸を手で押して体を離した。
硬い胸板も、微かな香りも、カズが女では無い事を物語っている。ふう、と息をついて顔を上げた。
「いつもゴメンね?」
何とかしないといけないよね?と笑って言うつもりだった言葉は言えなかった。
少し離れた場所にあるはずだった、いつもの柔らかな笑顔はそこに無かった。
鼻先が触れるほどに近くにあって、覗き込むようにこちらを見つめる瞳は、今まで見たことのない色を帯びている―――と思った時には伏せられて。
睫毛の長さを指摘する間もなく、押し当てられた唇の柔らかさに、思わず目を閉じた。
夥しい量の本に絶句した。
文庫本に留まらず、ハードカバーや、古典全集なんかまである。読書家なのは知っていたけど、どんだけ本につぎ込んでるんだろう?
「置いてかれても困るって、言われたし。ちょっとだけ、リビングの方にも置かせて貰っていいかな?」
「ああ、うん、いいよ。」
言いながら、片付けを手伝った。
こっちは服とノートパソコン位しかなかったから、もう片付け終わってるし。
ありがとう、晩御飯は奢るよと言うから、そこは甘えることにした。
年齢の事とか、就業年数とか、性別とか。細かく考えるときりが無いからと、家賃と水道光熱費はとりあえず折半することにした。仕事を家に持ち帰ったりするようなら、ちょっと話し合いしないといけないだろうけど。
「リビングとトイレの掃除は土日にするとして、お風呂場はどうしようか?」
「一日交替で、朝か夜、楽な方ですればいいんじゃないかな?」
言いながら、ちょっとここ寄っていい?と、輸入雑貨の店へ入っていく背中を追いかけた。謎の調味料や食材に加えて、フライパンのセット等々、キッチンツールを籠に放り込んでいく。
「カズ、料理するんだ?」
「うん、あ、ダメ?」
「や、いいけど…」
「パスタとかカレーとかしか作れないけどね。作ったらトーコさんも食べる?」
「あー…」
「ちゃんと対価貰うから、大丈夫だよ。」
なら、いいか…と頷くと、良かったと微笑んだ。
同居するにあたり、カズに1個だけ頼んだ事があった。
―――絶対に、あたしを甘やかさないで。
「掃除とかって、やらなくなるとホントにしなくなっちゃうから、ちゃんと声かけてやらせて。」
カズは地元の高校で国語教師になるから、あたしより規則正しい生活になる。だからと言って、色々任せるんじゃあ、割に合わないでしょ?と。
同居する以上は、対等に。
意固地だな、と自分でもわかってたけど。
「…カレールーって、作れるんだね…」
キッチンで炭酸水を飲みながら呟いた。
何か色々買ってるな~とは思ってたけど。
「これ位しか作れないけどね。」
とか言ってるけど、謙遜のつもりなんだろうか?この分じゃ、パスタもかなり本格的に作りそうだ。―――だって、輸入ものの聞いたこともないヤツ買ってたよね?
何だか知らない鼻歌を歌いながら、玉ねぎを丁寧に炒める横顔は、整ってはいるけど色白で、あまり男らしさは感じられない。
まあ、だから一緒に住む気になったんだけど。
「お店開けるんじゃないの?」
「ええ?それはムリだよ。」
鍋から視線を外さないまま、楽しそうに笑う。
その横顔に、あの人達の笑顔が蘇った。
―――ずっと、夢だったんです。自分達の店を持つのが。
そう言いながら、ふっくらとした奥さんのお腹を撫でて、ご主人(オーナー)が微笑む。
―――この子の為にも、頑張らないと。
ひゅっ、と息が上がる。
鼓動が激しくなって、胸を押さえた。
いけない、また―――そう思うのと、反対の手に持ったペットボトルを取り上げられるのが同時だった。
背中に回された腕に抱き寄せられて、柔らかなネルのシャツが頰に当たる。
「落ち着いて。」
静かな声が耳元で響く。宥めるように背中をトントンとされると、動悸が治まってきた。
シャツに顔を当てたままで鼻から息を吸い込むと、清潔感のある石鹸のような香りに、微かなスパイスが混じっている。カレーによくある香りと、後は―――
「…ありがと、もう大丈夫。」
そう言って、胸を手で押して体を離した。
硬い胸板も、微かな香りも、カズが女では無い事を物語っている。ふう、と息をついて顔を上げた。
「いつもゴメンね?」
何とかしないといけないよね?と笑って言うつもりだった言葉は言えなかった。
少し離れた場所にあるはずだった、いつもの柔らかな笑顔はそこに無かった。
鼻先が触れるほどに近くにあって、覗き込むようにこちらを見つめる瞳は、今まで見たことのない色を帯びている―――と思った時には伏せられて。
睫毛の長さを指摘する間もなく、押し当てられた唇の柔らかさに、思わず目を閉じた。