花の名前
5
―――ひぃぃっっっ
カーブに差し掛かる度に、心の中で悲鳴を上げた。
もう止めてっ、降ろして―――っっっ!!
と叫びながら、ぎゅううっっっと、目の前の腰にしがみつく。辺りを見る余裕なんてもちろん無かったから、バイクが止まって、目を開けて呆然とした。
え、何これ…どういうコト―――?
辺りは真っ暗だった。
エンジンが切れると同時にライトが消えると、音の無い、静かな闇が落ちて、一瞬、息を呑んだ。
思わずギュッと回したままの腕に力を込めると、彼が微かに笑って、言った。
「上、見てみて。」
上―――?
顔を上げて、驚いた。
辺り一面真っ暗なのに、空だけ、明るい事に。
見上げた空は、宝石を散りばめたような、一面の星空だった。
「…スゴい…」
ゴクリと息を呑んで呟く。こんなに沢山の星を見たのは初めてだった。トントンとお腹に回していた手を軽く叩かれる。
あっ、と気が付いて腕を放すと、途端に体が傾いで慌てる。
その体を、後ろ向きに伸ばした腕に支えられた。
「シートの、ここ、わかりますか?ちょっとここ持ってて下さい。」
手探りで示された場所を掴むと、目の前の背中が少し離れて、バイクを降りたのが分かる。
掴まって、と言いながら脇の下から背中に腕を回されて、バイクから降ろされる。あれだけしがみついておいて何だけど、ちょっと近過ぎないかな…。
とはいえ、足元も覚束ない程の暗闇で、手を離されるのも確かに怖かったから、彼の腕に促されるまま、バイクから離れた地面に腰を下ろした。
お尻の下の感触から、そこが柔らかな草地だと分かる。
直ぐ隣に、彼も腰を下ろした。―――やっぱり顔は見えないけれど、目が慣れてきたのか暗闇の中でも輪郭がわかり、少し安心した。
「もう真夜中だから、上手くすれば流れ星が見えるかもしれませんよ。」
「え、ホントに?」
思わず聞くと、彼が体を後ろに倒して寝転んだ。
星を見るつもりなんだ…と気が付いて、思わず―――そう、後で思い返すと、普段だったらしなかったと思うのに、何故かその時は深く考えもせずに、彼の隣に同じように寝転んだ。
本当に、見事な星空だったから。
「こう、帯状になってるのが天の川です。あそこの大きく光る星、わかりますか?」
空の天辺から少し下がったところを、黒い影が指で示す。
「十字になってるでしょう?あれがはくちょう座です。長い方が首で、そのこっち側にあるのがこと座―――織り姫星ですよ。」
「えっ?!」
織り姫って、七夕の?
「夏の星座なんだと思ってた…」
「単純に見える時間なんですよ。星はいつも空にあるけど、昼間は太陽の光で見えないから。」
へえ―――、と思いながら空に視線を戻した。
あるのに、見えない―――何処かで聞いたようなフレーズだと思った、その瞬間だった。
すい―――っと。
白い線が、横切って。
思わず息を呑んだ。
スゴい、生まれて初めて見た。
それが空気で伝わったのか、隣から、ふ、という微かな気配が上がる。
「運が良いですね。願い事しましたか?」
「え?」
「星が消えるまでに、願い事を3回唱えるって言うでしょう?」
「ええっ?」
いやいや、ムリでしょ―――と心の中の突っ込みが聞こえたのか、彼がクスクスと笑う。何だか楽しそうで、自然と頬が緩んだ。
願い事、か―――。
子供じゃないんだから、と思って、でも、じゃあ今子供だったら?と思い直す。
建築家になりたいと漠然と思うようになったのは、中学の時に見た世界遺産のドキュメンタリー番組がきっかけだった。
百年以上も前から、完成を見ないまま亡くなった建築家の遺志を継いで、造り続けられている教会―――設計図をあまり描かず、模型を造って建てるという、その建築家が造りたかったのはある意味建物という名の器では無く、空間だったのだろうかと思う。
荘厳な、神の声を聞き、自分と向き合う為の“場”―――。
―――お前、あの施主さんにエライ入れ込んでたよな?
そう言った、厭らしい笑みが蘇る。
―――もう、潰れてたぜ、あのパン屋。相当借金抱えて、大変なんじゃねぇの?
言われるまでもなく、知ってた。
いつも気にかけていたから、だから。
笑いながら言うことじゃ無いっっ!!
そう怒鳴りつけようと、大きく息を吸い込んで、それで―――
星空が滲んで、目を閉じた。
温かな空気を感じられる場所にしたかった。
施主(オーナー)のお二人のように、柔らかな。
タイルは貼れないんですけど、でも、この素材で、漆喰のように見せるのはどうでしょう?
木の建具は法律で使えないんですけど、こちらなら温かみのある窓になると思うんですよ?
いつ行っても、美味しいお茶を入れてくれた。
あの二人…ううん、今はもう3人になっているはず―――…
「大丈夫ですよ。」
隣から、静かな声がする。
「今は、見えないから―――」
思わず、笑ってしまった。
こんなに真っ暗なのに、何でわかるのよ。
せっかくの星空なのに―――
唇を噛み締めて、手の甲で、瞼を押さえる。
もしも、願いが叶うなら。
あの人達の上に
どんな形でも良いから
しあわせが訪れていますように―――
それが“自分の為”の身勝手な願いだと分かっていても。
カーブに差し掛かる度に、心の中で悲鳴を上げた。
もう止めてっ、降ろして―――っっっ!!
と叫びながら、ぎゅううっっっと、目の前の腰にしがみつく。辺りを見る余裕なんてもちろん無かったから、バイクが止まって、目を開けて呆然とした。
え、何これ…どういうコト―――?
辺りは真っ暗だった。
エンジンが切れると同時にライトが消えると、音の無い、静かな闇が落ちて、一瞬、息を呑んだ。
思わずギュッと回したままの腕に力を込めると、彼が微かに笑って、言った。
「上、見てみて。」
上―――?
顔を上げて、驚いた。
辺り一面真っ暗なのに、空だけ、明るい事に。
見上げた空は、宝石を散りばめたような、一面の星空だった。
「…スゴい…」
ゴクリと息を呑んで呟く。こんなに沢山の星を見たのは初めてだった。トントンとお腹に回していた手を軽く叩かれる。
あっ、と気が付いて腕を放すと、途端に体が傾いで慌てる。
その体を、後ろ向きに伸ばした腕に支えられた。
「シートの、ここ、わかりますか?ちょっとここ持ってて下さい。」
手探りで示された場所を掴むと、目の前の背中が少し離れて、バイクを降りたのが分かる。
掴まって、と言いながら脇の下から背中に腕を回されて、バイクから降ろされる。あれだけしがみついておいて何だけど、ちょっと近過ぎないかな…。
とはいえ、足元も覚束ない程の暗闇で、手を離されるのも確かに怖かったから、彼の腕に促されるまま、バイクから離れた地面に腰を下ろした。
お尻の下の感触から、そこが柔らかな草地だと分かる。
直ぐ隣に、彼も腰を下ろした。―――やっぱり顔は見えないけれど、目が慣れてきたのか暗闇の中でも輪郭がわかり、少し安心した。
「もう真夜中だから、上手くすれば流れ星が見えるかもしれませんよ。」
「え、ホントに?」
思わず聞くと、彼が体を後ろに倒して寝転んだ。
星を見るつもりなんだ…と気が付いて、思わず―――そう、後で思い返すと、普段だったらしなかったと思うのに、何故かその時は深く考えもせずに、彼の隣に同じように寝転んだ。
本当に、見事な星空だったから。
「こう、帯状になってるのが天の川です。あそこの大きく光る星、わかりますか?」
空の天辺から少し下がったところを、黒い影が指で示す。
「十字になってるでしょう?あれがはくちょう座です。長い方が首で、そのこっち側にあるのがこと座―――織り姫星ですよ。」
「えっ?!」
織り姫って、七夕の?
「夏の星座なんだと思ってた…」
「単純に見える時間なんですよ。星はいつも空にあるけど、昼間は太陽の光で見えないから。」
へえ―――、と思いながら空に視線を戻した。
あるのに、見えない―――何処かで聞いたようなフレーズだと思った、その瞬間だった。
すい―――っと。
白い線が、横切って。
思わず息を呑んだ。
スゴい、生まれて初めて見た。
それが空気で伝わったのか、隣から、ふ、という微かな気配が上がる。
「運が良いですね。願い事しましたか?」
「え?」
「星が消えるまでに、願い事を3回唱えるって言うでしょう?」
「ええっ?」
いやいや、ムリでしょ―――と心の中の突っ込みが聞こえたのか、彼がクスクスと笑う。何だか楽しそうで、自然と頬が緩んだ。
願い事、か―――。
子供じゃないんだから、と思って、でも、じゃあ今子供だったら?と思い直す。
建築家になりたいと漠然と思うようになったのは、中学の時に見た世界遺産のドキュメンタリー番組がきっかけだった。
百年以上も前から、完成を見ないまま亡くなった建築家の遺志を継いで、造り続けられている教会―――設計図をあまり描かず、模型を造って建てるという、その建築家が造りたかったのはある意味建物という名の器では無く、空間だったのだろうかと思う。
荘厳な、神の声を聞き、自分と向き合う為の“場”―――。
―――お前、あの施主さんにエライ入れ込んでたよな?
そう言った、厭らしい笑みが蘇る。
―――もう、潰れてたぜ、あのパン屋。相当借金抱えて、大変なんじゃねぇの?
言われるまでもなく、知ってた。
いつも気にかけていたから、だから。
笑いながら言うことじゃ無いっっ!!
そう怒鳴りつけようと、大きく息を吸い込んで、それで―――
星空が滲んで、目を閉じた。
温かな空気を感じられる場所にしたかった。
施主(オーナー)のお二人のように、柔らかな。
タイルは貼れないんですけど、でも、この素材で、漆喰のように見せるのはどうでしょう?
木の建具は法律で使えないんですけど、こちらなら温かみのある窓になると思うんですよ?
いつ行っても、美味しいお茶を入れてくれた。
あの二人…ううん、今はもう3人になっているはず―――…
「大丈夫ですよ。」
隣から、静かな声がする。
「今は、見えないから―――」
思わず、笑ってしまった。
こんなに真っ暗なのに、何でわかるのよ。
せっかくの星空なのに―――
唇を噛み締めて、手の甲で、瞼を押さえる。
もしも、願いが叶うなら。
あの人達の上に
どんな形でも良いから
しあわせが訪れていますように―――
それが“自分の為”の身勝手な願いだと分かっていても。