偽装結婚はおさない恋の復活⁉︎
もし、少しは楽になって、智史の心の底に澱のように沈んでいた「わだかまり」が、少しでも掬えるところまで上がってくるのであれば「今日」のことは意味があった、と稍は思う。
少なくとも、稍自身は母親と再会して、今まで腑に落ちなかったことが解消されたのは事実だ。
たとえ、それが母親の「言い訳」であったとしても……
稍とて、思春期の頃はやはり母親に対してやりきれない気持ちになったことがあった。
また、就職先を東京にしたのは、仕方がなかったとはいえ、父親が娘たちの養育を押しつける形となった、父方の京都の祖父母の家を出たかったからだ。
たとえ、あのような立場の栞を置き去りにすることになったとしても……
母親側だけでなく、父親側にも稍には「思うところ」があったのだ。
今まで、自分は親から自立した、と思っていた。
だが、本当の意味での自立は「今日」だったのかもしれない。
やはり、一人であれこれ考えるのと、会って話を聞いてみるのとでは、違うのだ。
だけど、十代のときでも、二十代のときでも、こんな気持ちになれたかといえば、自信はない。
三十半ばになった「今」という時期も、よかったのかもしれない。