君のことは一ミリたりとも【完】
意外すぎる回答だったらしく、唐沢は目を丸くして私のことを見つめていた。
しかし順応性の高い彼は直ぐにその言葉を受け入れて笑う。
「亜紀、さん?」
「……」
「おっ、怒られない。じゃあこれで行こうかな」
「もう勝手にして」
彼は満足そうにすると「家まで送るよ」と言ってきたがここまで撒いておかないと本当についてきそうだったので早足で駅まで帰ることになった。
きっと長続きしないだろうと思っていた唐沢との交際は意外にも順調で、というか直ぐに諦めると思っていた唐沢が結構しつこい。
一週間に2回は食事の誘いが来るし、休日もデートしようと言われる。食事は時間が合えばたまに仕事帰りに合うが何度か誘ってきたのは向こうなのにドタキャンされることもしばしば。雑誌編集者がどのような仕事なのか詳しくはないが、その忙しい合間を縫って会いに来ようとしてくれるのは何となく伝わってきた。
私も毎回誘いに乗るわけでもないし、断るわけでもない。休日の誘いも何も予定がなく暇なら行くし、暇でも一日中家にいたいときは気分で断っている。
そんな雑な対応だが彼もそこまで期待はしてないのか、「そっかー」程度の軽い返事が終わることも多く、彼の存在自体はそこまで負担にはなっていない。
ただ前よりは外食の機会が増えた。これまで美味しいご飯を食べに行こうにも一人のことが多かったため、結局家で済ませてしまうことが多かった。
テレビや雑誌を見て気になったお店など、一人では入りづらく感じていたお店も唐沢と一緒に行くことによって訪れる機会が増えたような気がする。
恋人らしいことは一度もしていない。手を繋いだこともなければあれ以来のキスもない。
それなのに唐沢は懲りずに遊びに誘ってくるし、たまに冗談を言うように口説いてくる。本気には聞こえないので私も本気には受け止めずにサラッと流すことが多いが。
そんなことが理由でいつだか彼といることが居心地がいいような気がしてきた。
元々敵対し合っていたこともあってどれだけ強く当たったとしてもお互いに軽く流せる。
だから仕事のように気を遣わなくていいし、気が楽なのは確かだった。