婚活女子とイケメン男子の化学反応
~零士side~

葵が帰った後、それまで大人しく眠っていた楓が突然火のついたように泣き出した。

どうやら母乳の時間になったようだ。

「よしよし楓~、ちょっと待ってね、今あげるからね~」

鈴乃は楓をあやしながら、手際よくパジャマから胸を出して乳首を吸わせた。
3日も経てばずいぶん慣れるものだなと感心する。

楓が鈴乃の胸に必死に吸い付く様子を微笑ましく眺めていると、鈴乃がふと口にした。

「ねえ、零士さん。最近、私の胸、大きくなったと思わない?」
「え? 胸?」

確かに鈴乃の胸は、母乳をあげているせいかワンサイズ大きくなったように見える。

「ああ、そうだな。大きくなったかもな」

答えた瞬間、鈴乃の顔が嬉しそうに誇ろんだ。

「零士さん、嬉しい?」
「え?」

「だ、か、ら、私の胸が大きくなって嬉し~い?」
「いや、それは」

鈴乃が俺の顔をジッと見つめる。

正直答え辛い質問だ。
大きいのはきっと期間限定のことだろうし、ここで嬉しいと答えるのは元の鈴乃の胸を否定しているようで何だか気が引ける。

「俺は鈴乃の胸なら何だって嬉しいよ。それより今は母乳の方が興味あるな。今度俺にも吸わせてよ」

と、冗談で誤魔化したつもりだったけど、鈴乃は真に受けたのか顔を真っ赤にして考え込んでしまった。

そして、覚悟を決めたようにこう言った。

「分かった。そんなに零士さんが飲みたいなら、こっちの母乳ちょっと吸ってもいいよ」

まさかの言葉に思わず声が裏返る。

「え!いいの!?」

「いいよ」
「ほんとに?」
「うん」
「じゃあ、少しだけ…」

俺はゴクリと唾を飲み、鈴乃の胸にゆっくりと顔を近づけた。

と、その瞬間、我が子の顔が思いきり視界に入った。

うわっ!
俺は一体何をやってるんだ!

我に返り慌てて鈴乃の胸から顔を離す。
娘と一緒に母乳を吸うとかとんだ変態野郎じゃないか。危うく楓の前で大変な醜態を晒すところだった。

はあーと息を吐き出すと、鈴乃が不思議そうに俺を見た。

「吸わないの?」
「いや、冗談だから」
「え?」
「大事なミルクを横取りしたら楓に怒られちゃうだろ? あ、そうだ、確か楓のお尻ふき切らしてたんだよな? ちょっとドラッグストアで買ってくるな」

俺はキョトンとする鈴乃の頭を撫で、急いで病室を出たのだった。



……


その後、無事に買い物をすませて病院に戻ると、病室の前に鈴乃の兄が立っていた。

「どうも」と頭を下げた俺に彼はこう口にした。

「部屋に入ろうとしたら、鈴乃に『今はダメ』って追い出されちゃたんですよ。母乳あげてるからって」

そうだ。
鈴乃は今授乳中だ。
状況を理解したと同時に不安がよぎる。

まさかこいつ、どさくさに紛れて鈴乃のおっぱい見たんじゃないだろうな。

一瞬にして殺意が湧く。

いや、まあ、さすがにそれはないか。
ちゃんと『鈴乃の兄』になると約束したんだから。

「そうでしたか。すいませんでした。じゃあ、そこの談話室で時間潰しますか?」

彼は「そうですね」と頷き、黙って俺に付いてきた。

……

「コーヒーでいいですか?」
「ああ、すいません」

自販機で買った缶コーヒーを差し出して、彼の向かいの席に座る。

彼はコーヒーに口をつけた後、ニヤリとしながら俺を見た。

「鈴乃の胸、ちょっと大きくなりましたよね」

思わず『ブッ!』と、口の中のコーヒーを噴き出してしまった。

「ハハハ、大丈夫ですか? 冗談ですよ。あなたがどんな反応するのか見てみたかっただけです」

面白そうに笑う彼の顔を一発殴ってやりたくなる。

「……そうですか。ずいぶん悪趣味なことしますね」

ムッとしながら零れたコーヒーを拭いていると、彼が真面目な顔で話を始めた。

「実は昔ね、鈴乃に呪縛をかけたんですよ。鈴乃が胸にコンプレックスを抱いてるのをいいことに、将来好きな男が現れてもセックスできないようにしたんです。ホントに酷いことをしました。鈴乃……胸のこと気にしてませんでしたか?」

彼は少し苦しげに表情を強張らせた。

「ええ。初めは可哀相なくらい気にしてましたよ」

ベッドで震えていた鈴乃の顔が思い出される。

「ですよね」

「でも……もうあなたのかけた呪縛はすべて俺が解きましたから。鈴乃はもう、俺の言葉しか信じませんよ」

彼の目を見て力強く告げると、彼の表情がふっと崩れた。

「鈴乃は本当に変わりましたよ。全てあなたのおかげですね。あなたには兄として感謝してます。って言っても、もうすぐ僕は鈴乃の兄ではなくなってしまいますけど」

「え?」

「今、両親は離婚協議中なんです。さすがに父もあの母には愛想を尽かしたみたいで……あっ、ちょっと失礼」

ちょうどそこで彼のスマホは着信を告げ、彼は談話室の隅で電話に出た。

そして、戻ってくると、鞄を漁りながらこう言った。

「すいません。急きょ会社に戻らないといけなくなりました。実はもうすぐ海外赴任になるのでバタバタしてましてね。代わりにこのテープを鈴乃に渡しておいてもらえませんか? うちの母が隠し持ってたやつです」

そう言いながら彼が差し出したのは、一本の古いビデオテープだった。

「分かりました」

俺が受け取ると、彼はホッとしたように笑った。

「ありがとう。父もすべてが片づいたら会いに行くと言ってました。孫の顔、どうか見せてやって下さい。それでは鈴乃のこと、くれぐれも宜しくお願いします」

そう言って俺に頭を下げた彼の顔は、妹の幸せを願う『優しい兄』の顔になっていた。


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