真夜中だけは、別の顔
「伊吹……」
ゆっくりと晴太の手が伊吹の頬に伸びる。その温かな手は伊吹の頬を優しく包み込み、そして静かに微笑んだ。
「怖がらないで……」
怖いとは思わなかった。けれどますます深まる違和感。
晴太はこんな口調で話したりしない。こんなにも愛おしそうな目で伊吹を見つめたりしない。
「あなた、誰……?」
「僕は、蒼月《あつき》」
晴太と同じ顔の、同じ身体の男がそう言った。
「……ア、ツキ?」
伊吹は唖然としながらその男が名乗った一度も聞いたこともない名前をまるでロボットのように繰り返した。
「伊吹……会いたかったよ、ずっと」
頭の中が混乱する。これはやはり夢なのだろうか。伊吹を見降ろした彼の瞳が静かに伏せられた。
見覚えのある長い睫毛。確かによく知っているはずの晴太が、同じ顔をしているのにまるで別人のような表情をみせる。
「伊吹」
静かに伊吹の名前を呼んだ彼の顔がゆっくりと近づいてくる。
「好きだよ……」
「何……、言ってるの?」
諦めたつもりでいても、心のどこかで夢見てた晴太の顔をした男の発した言葉。
これは、夢だ。私は夢を見ているのだ。
そう、自分の欲望を肯定するための都合のよい夢を──。
ゆっくりと近づいてくる彼の顔。その気配を感じながら静かに目を閉じる。彼の柔らかな唇が自分の唇に重なり伊吹はそれをまるで熱に浮かされたように受け入れた。
「晴太……」
「……僕は晴太じゃないよ」
かすかに声が聞こえたが、そんな事はどうでもいいような気がした。次第に深くなるキス。お互いの唇の端から漏れる淫らな水音と艶めいた声。
「………っ、」
夢ならば、何をしたって構わない。
どんなに激しく求めても、どんなに淫らな声をあげ、欲望のままに動こうとも──、覚めてしまえばすべて忘れてしまえる。
そう、何もかもすべて──。