最後の男(ひと)
先輩は堪り兼ねたように一呼吸吐いてから、打って変わって、落ち着いた口調で話し始める。

「……4年前に一緒に働いていた頃、仕事の話だけじゃなくて、お互いに他愛もないことも色々話したよな。俺の最初の一言もあったのかもしれないけど、一香は俺に気を許しているようでいて、いつもきっちり一線を引いていた。あの頃は、先輩後輩関係なくバカ言い合っても、全然距離が縮まっている感じはしなかった」

だってそれは、仕事にセックスを持ち込むなって、私の担当についた先輩から初日にはっきり言われたから。
だからと言って、惹かれなかった訳じゃない。一緒に仕事をして、間近で先輩の凄さを見せつけられて、できる上司として憧れていた。
だけど、先輩に迷惑を掛けたくなくて、憧れが恋へと変化しないように、優しい笑顔を向けられる度、休憩室で気の置けない同僚と世間話をしている時の自然な笑顔を見掛ける度、たまに私を試すように意味深な瞳で見つめてくる度、これ以上、私の心のなかの先輩の居場所が嵩を増していかないように、いつもぎりぎりのところで思い留まっていた気がする。
士郎と会えなくでも我慢できたのは、どんなに忙しくても先輩といる時間に癒されていたからなのかもしれない。

「でも今は、一香にそんな態度を取られても、あの頃よりはずっと近くに感じられる」

あの頃とは違うから。先輩が受け止めてくれることを分かっているから。そのうえでこんな態度を取ってしまうという事は、先輩に甘えているからだ。そこまで思って、先輩から揶揄された言葉に今更ながら、はっとする。何を今まで恋に初心な乙女のつもりになっていたのだろう。ましてや、先輩相手に駆け引きしているつもりもない。私だって、大人の女として、きちんと伝えることは伝えたい。

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