最後の男(ひと)
「当たり前だろ。俺って何だと思われてるんだよ。まさか、昔あった社内の噂信じてないよな」

「日替わりで彼女がいるっていう話ですか? 毎日仕事に追われている先輩にプライベートの時間があるようには見えなかったけど、セフレ位はいるかなと思っていましたよ」

ちらりと先輩に目を向ければ、悪びれた素振りも見せずに淡々としている。

「まぁ、それは、大人になれば色々あるだろ。それに、一香だって……、いや、この話はここでやめておこう」

これ以上はお互い墓穴を掘るだけだと、先輩の言う通り、私も口を噤む。今更、先輩の過去に嫉妬したって仕方がないことだ。


食事を終えて一段落したところで、遅くなる前にホテルに戻ると先輩に告げると、そうだな、と返事が返ってくる。私から言い出したことなのに、何とも言えない寂寥感に襲われて自己嫌悪する。
本当は、行くな、と引き止めてほしかったのかもしれない。自分でも気付かない無意識下の駆け引きに、先輩が気付いてくれるはずはないのに。

「なぁ、一香。やっぱ今日泊まっていけよ」

玄関まで来たところで、先輩がふと立ち止まる。

「洗濯している間着るものは俺の貸すし、スーツケースは明日の朝取りに行けばいい」

先輩は、私が用意していた言葉を先回りして、私の退路を断つ。
欲しがっているのは私じゃなくて先輩の方だって、私に言い訳をくれる。
やっぱり先輩は、男女の事に長けている大人の男だ。

「さっき、私にはできないって言ってたこと、してきてくれただろ。俺は特別だって思っていいんだよな」

振り返った先輩の顔には、逆光で影ができている。
そのせいなのか、瞳だけがきらりと光って、射貫く強さで私を見つめてくる。
でもその瞳には、確信に満ちた落ち着きと同居するように僅かな怯えの色が差し込んでいて、一時帰国していた時の、駆け引きするような悪ノリや軽薄な感じはない。

渡米する前日の仕事帰りに滑り込みで飛び込んだサロンでしてもらったトリートメントも、普段は磨くだけの爪に施してもらったフレンチネイルも、全てこの日のため。

私にはもう、頷くことしかできない。

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