恋を知らない
「あっ、すみません。失礼」
ひとりの若い男がそう言って、ぼくと、ぼくの後ろに並んでいた男女のカップルの間をすり抜けて前へ出ていった。二十歳か、それよりちょっと若いくらいの、特にどうという特徴のない男だった。
そいつが近づいていくと、「めぐみ」の顔が、本当にうれしそうな笑みで満たされた。花が咲いたような笑みだと思った。
「待った?」
「ううん、ぜんぜん」
その男と「めぐみ」のそんな会話が聞きとれた。と思う間もなく、ふたりは腕を組んで向こうの入場口へと歩いていった。
ぼくはビルの屋上からドーンと突き落とされたような気持で、ふたりの姿を目で追い続けた。
ふたりはまだ楽しげにおしゃべりしていたが、遠すぎて、その声がぼくの耳に届くことはなかった。
「おい、シュウ」
突然乱暴に腕をつかまれた。キョウだ。いつもの彼に似合わず、とても怖い顔をしている。
「え?」
「ちょっと来い」
「なんだよ」
「いいから来いッ」
チケットを買う列をはずれて、強引に引きずっていかれる。