Anna

 むくれた慧が店を出て行った後、彼に置いていかれカウンターに残った斎は、ここのマスターから少し強引に聞き出した慧のことをしばらく考えていた。
 
 彼がいなくなっただけで、店の雰囲気がガラッと物寂しく感じる。
 その長い髪に指を絡めて、白い肌に触れて、冷えきった温度を確かめてあげたい。彼には、そう思わせるような魔性の魅力がある。
 
 
 
「慧ちゃんに男の趣味なんてないわよ。昔も今も、想い続けるのは幼馴染みの女の子のことだけ」
 
「初恋ね……俺じゃ敵わないかな?」
 
 
 冗談半分で、そんなことを口にしてみた。
 しかし、マスターは何も言わなかった。
 
 一目瞭然だ。きっと今の彼には、敵うはずがない相手だ。
 
 
 今も昔も、彼の真ん中にいるその幼馴染みの存在が羨ましく思ってしまった。そんな醜いジェラシーを洗い流すように、グラスに僅かに残る酒を流し込んだ。
 
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