言い訳~blanc noir~
―――沙織の夫からだろう。

 沙織の表情ですぐにぴんときた。


 二人でいるときに夫から電話が入る事はほぼないが、過去に一度だけ夫から電話が掛かってきた事があった。


 沙織は今のように表情が消え、わざとらしい嘘をついた。


 その時は嫉妬心というよりも沙織から嘘をつかれた事に感情的になってしまったのを覚えている。

「どうして嘘つくの? ご主人からだろ?」と嫌味っぽく言ってしまった事を後悔した。

 沙織は悲しげな瞳で俯くと「ごめんなさい」と肩を落としていた。

 その姿を目にした瞬間、自分の言葉が沙織を責めているのだと知り、慌てて沙織を抱きしめ「ごめんね」と謝罪したが、その日は何となく気まずい夕食を摂る事になってしまった。


 二人の間で夫の話題はタブーでしかない。


 触れられたくない沙織と、触れられない自分。この暗黙のルールがもどかしく、時々和樹は無性に苛立ちを覚えてしまう。


 さっきまでの和やかな雰囲気からほんのわずかだが空気が変わってしまった。

 沙織もそれに何となく気が付いているのだろう。


「ご主人様、明日の夜は何が食べたいですか?」


 沙織は営業職は向いてなさそうだな。話の切り替えがあまり得意ではないらしい。

 そう思うと少し口元が緩んだ。


「どうして笑うんですか?」


「いや。何でもないよ」


 沙織が不思議そうに小首を傾げた。その表情が猫というより、リスやハムスターのような小動物を思わせる。


 沙織は喜怒哀楽が表に出過ぎるタイプだという事がこの半年でよくわかった。やはり営業職には向いてなさそうだ。


 すると店内のドアが開き店員の「いらっしゃいませ」という声が耳に届く。

 ドアに目を向けると黒いシャツの胸元をだらしなく開け、その上から皮のジャケットを羽織り、金色に染めた長髪の男が店内に入って来た。


 年齢的に20代後半か30代前半だろうか。和樹とあまり変わらないようにも見える。

 すぐに目線を逸らし沙織に話し掛けようとしたところ、その男が店員の「お一人様ですか?」という問い掛けを無視し、つかつかとこちらに歩いてきた。



「おいこら」
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