言い訳~blanc noir~
「お客様。他のお客様のご迷惑になりますので……」


 この店の店長と思われる中年男性が和樹と沙織の夫との間に割って入る。張り詰めた空気が破裂しないよう、腫れ物に触るかのような物言いだった。

 和樹は握った男の腕を静かに離す。

 しかし視線だけは沙織の夫から離さず正面から睨みつけたままだった。


「お前、沙織とできてんの?」


 まるで和樹を小馬鹿にするような見下した目付きでその男が言った。右の口角だけがにやりと上がり、目をいやらしく細めている。

 その下品な表情を目にした和樹が不快そうに眉をひそめた。


「いえ。そういう関係ではありません」


「別にどうでもいいけど」


 すると男が沙織に顔を向けた。がたがたと震えながら身をすくめる沙織は顔から血の気が引き青白い顔をしている。

 不倫現場を押さえられた恐怖ではなく、この男自身に怯えている。この怯え方が尋常でない事は沙織の様子を見れば一目瞭然だった。


「金」男が手のひらを沙織に差し出した。


「ごめん……今ないの」


「何でねえんだよ。金ないなら俺の店で働けって言ったろ?」


―――俺の店?

 この男の職種もわからなければ二人の会話や事情が掴めない。ただ沙織が震えながら首を横に振り、それを強く否定している事だけはすぐにわかった。


「ごめん、ひろ君……」


「あの、お客様」


 店長がもう一度腰を低くさせ横から声を掛ける。と、男が威圧的な目付きで睨みをきかせた。品も教養もない、チンピラのような男だ。沙織の夫がこんな男である事が信じられなかった。

―――俺は沙織にこの男と比較されているのか。


 そう思うと余計に腹立たしさが込み上げる。

 その怒りがこの男に対してなのか、沙織に対してなのか、それとも両者に対してなのか自分でもわからない。

 関係が関係でなければすぐにでも掴みかかるだろう。

 しかし今は込み上げる怒りを強引に抑え込むしか術がない自分を情けなく思う。


「リョウ、なにやってんの?」


 いつの間に店内に入って来たのか気付かなかったが、振り返ると腰近くまである長い髪を金色に染め、豹柄のカットソーに太ももが半分以上露出したタイトスカートの女が立っていた。その女の隣には3才か4才くらいの幼い男の子が一緒に立っている。


「もう早くしてよ。すみませーん。お騒がせしましたー」


 女がおどけたような顔つきで周囲のテーブルにぺこぺこと頭を下げると、何が可笑しいのか「きゃはは」と品のない笑い声をあげた。


「あ、奥さんじゃん。リョウとさっさと離婚してくださいねー」
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