伯爵令妹の恋は憂鬱
外に出ると、冷たい北風がマルティナの全身に吹き付ける。
「トマス? ……トマス!」
大きな声は、ほとんど出したことがない。
母と別荘地にいたときも、引き取られて伯爵家に来てからも。
誰の邪魔にもならないように、屋敷の片隅で静かにしていれば居場所はなくならないと思っていた。
誰かの“目障り”にならないために、目立たない存在でいたかった。
だけど、このままじゃトマスにとっても“一時期世話をしたおとなしいお嬢さん”で終わってしまう。
「トマス! 何処に居るの!」
お腹の底から出した声は、庭に響き渡った。マルティナは駆け出し、広い庭の中を彼の名を呼びながら走る。
「マルティナ様?」
屋敷の裏側、厩舎の近くにトマスはいた。彼は馬の手綱をひいていて、どこかに出かけるような格好をしている。
「……トマス!」
マルティナは駆け出していた。
トマスは慌てて、馬の綱を木の枝に引っかけ、駆け寄ってくるマルティナを受け止める。
「寒いのにそんな薄着で出てきては駄目ですよ」
外套を脱いでパサリとマルティナにかける。だが、トマスの服装が気になった。馬の背には荷物が積んであるし、服装も最初にこの屋敷に来た時のような防寒のきいたものだ。
「……どこに行くの?」
トマスは困ったような顔をして笑った後、マルティナの目の前で頭を下げた。
「申し訳ありません。しばらくお暇をいただきます」
大柄のトマスの頭頂が見える。それくらい角度をつけた礼は完全に使用人としての態度だ。