伯爵令妹の恋は憂鬱
「な……なにやってるんですか。俺はいつか、あなたを迎えに行くつもりだったのに。あなたを困らせたくなくて。……守れるだけの自分になりたくて。……あなたに身分を捨てさせるつもりなんてなかったのに」
目の前の状況が信じられずに、トマスは慌てる。
大切な令嬢にとんでもないことを決意させてしまったことが、後悔となって胸を打つ。
けれどマルティナはいっそ清々しいと思えるような笑顔を見せた。
「だって私、あなたがいないと呼吸ができないんです。待っていたら死んでしまう。……それに、ホッとしてもいます。本当は私生児の私が、伯爵家の令嬢として扱われるのは、ずっと心苦しかったんです」
「……苦しかったんですか?」
「ええ。食べるものや衣服の苦労をしなくて済むのは、もちろんありがたかったですけど。……嘘をつくのは苦手です。だから、“お嬢様”でいるのは何かが違う気がしていました」
マルティナは荷物を地面に置き、手を広げてトマスに向けてきた。
トマスには、一瞬彼女に羽が生えているように見えて、瞬きを繰り返す。
潤んだ瞳で彼を一心に見あげる少女は、『幸福』という題名の絵画になりそうな健やかな笑顔を見せた。
「今、私を縛るものは何もありません。だから、自由に自分の気持ちを言うことができます。トマスが好きなんです。あなたがいないと生きていけないくらい」
胸が締め付けられてのどの奥が痛い。目の前のいじらしい少女にぶつけるには、あまりにもあさましく荒々しい感情がトマスを襲う。
好きだ。好きだ。ただ自分だけのものにするために、その小さな体をこの腕に抱きたい。
それは、守ることだけを考えていたかつてのトマスには、許されない感情だった。
でも今目の前にいる少女は、もう仕えるべき令嬢ではない。
クレムラート家を捨ててまで自分に会いに来てくれたのだ。
「……ティナ」
声がかすれた。トマスはもう一度息を吸い込む。
気持ちを抑え込む必要なんてもうどこにもない。
(年齢差? 知ったことじゃない)
だってもう、トマスが忠義を誓う先など、どこにもないのだから。
「……マルティナ!」