伯爵令妹の恋は憂鬱




「ただいま」

「おかえりなさい、トマス!」


久しぶりにマルティナが起きている時間に帰ってきたトマスは、使用人にお仕着せとして与えているメイド服を着たマルティナを見て、思わず息を止めた。


「奥様! 着替えてからお迎えしませんと!」


メイドのマーヤが扉の陰で慌てている。マルティナは目をぱちくりとさせ、自分の姿を見直してようやく思い当たったようだ。


「え? あ、そっか。ごめんなさい、トマス。こんな格好で」

「いや、……でもなんでそんな格好……」


トマスは、怒鳴ってしまいそうな自分を抑えるのに精いっぱいだ。
マルティナに、こんな格好をするような暮らしをさせているつもりはない。
彼女には上質の絹のドレスや普段着用のワンピースをいくつも買い与えているし、クレムラート伯爵家にいたときと同じようにとまではいかないが、不自由をさせない程度には気を使ってきたつもりだ。


「このほうが動きやすいし、汚れてもいいから……。あの、今日もパイを焼いたんです。今日の出来はなかなかいいんですよ。トマスにも食べてほしいって思っていたから、早く帰ってきてくれて嬉しいです」


よく見ればほほに小麦粉がついている。
褒めてもらえるに違いないと期待をこめたまなざしで見つめられ、トマスの怒りは簡単にトーンダウンしてしまう。
< 172 / 184 >

この作品をシェア

pagetop