薄羽蜉蝣
 ちりん---。

 風鈴の音が鳴っている。
 あれは夜泣き蕎麦だ。

 父さんが好きだった。
 買っておいてあげようか。

 どこだろう?
 あれ、何か光った?
 ……叫び声?

 ちりん---。



 佐奈は目を開けた。
 びっしょりと汗をかいている。

「大丈夫かい? お佐奈ちゃん」

 ぬ、と視界に、大柄なお駒が現れた。
 お陰でぱっちりと目が覚める。

「珍しく洗濯に出てこないからさぁ、心配して様子見に来たら、えらいうなされてるじゃないか。具合でも悪いのかい?」

「あ、いえ。大丈夫です」

「ならいいけど。ほら、豆腐買っておいてあげたよ」

 ずい、と器に入った豆腐を差し出され、佐奈はきょとんとした。

「昨日買いそびれて困ったんだって? 言ってくれれば分けたのに」

「え、何故それを」

「与之さんが言ってたのさ。汚い店しか知らないから、嫌われたかもって言ってたよ」

 そう言いながら、お駒はげらげら笑う。

「通ってくる女子の一人もいないんじゃ、ああなっちまうのも無理はねぇわな。はは、まぁそういうところが、私たちにとっちゃ可愛いんだけどねぇ」

 女に不慣れな初心い男のほうが、嬶ぁどもの受けはいい。
 が、昨夜の与之介は、普段長屋での彼とは、ちょっと違ったけどな、と思い、佐奈は知らず赤くなる。
 もっとも長屋では、もっぱら子供相手なので、そう男らしいところも出ないのだろうが。

 考えれば考えるほどどきどきし、佐奈は視線を開けっ放しの障子から外へ投げた。
 お駒が開けたままなのであろう腰高障子の向こうには、同じように開けっ放しの与之介の部屋が見える。
 中で子供たちが、与之介と釣り竿を作っていた。

「あ~あ。きっと午後から釣りに行くつもりだよ。全く昼から行ったって、何が釣れるっていうんだい。どうせなら飯になるような大物を釣ってきて欲しいものだよ」

 ぶちぶち言いながらも微笑ましく見るお駒の視線の先を、佐奈も少し眩しげに眺めた。
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