薄羽蜉蝣
「三年前、夜泣き蕎麦の風鈴に気付いて。まだ帰ってきてなかった父のために買っておこうと思って、外に出たんです。あまり遠くに行く気はなかったんですけど、その夜は何だか、風鈴が呼んでるようで。ずっと探して、川の音に気付いたときに、何かが光ったんです」

 ちりん、とまたどこかで風鈴が鳴った。
 与之介にしがみついたまま、佐奈は話し続ける。

「ここからの記憶は曖昧なんですけど。光ったものは、一旦宙に浮いて、下にいた父に刺さった。何が起こったのかわかりません。父の前に、誰かいました。ちん、と音がしたから、刀をしまったのだとわかりました。その人に父が斬られたのだと思いました。でも、朝になって明るくなると、父の頭に突き刺さっていたのは、父の匕首でした」

「……曖昧だ、というわりには、よく覚えてるな」

 小さく、与之介が言った。
 いつもと違う、かすれた声だ。
 こんな話をいきなりされて、動揺しているに違いない。

「父の頭に刺さっていたのが父の匕首だった、ということは、間違いありません。でもそれまでの……父が斬られるまでの出来事は、どこまでが本当のことか……。夜でしたし、やけに風鈴の音が耳について、まるで夢の中の出来事にも思えて。見たままを喋っていても、自信がないんです。だって、父の他にもう一人誰かいて、その人は刀を抜いていたのに、父の命を奪ったのは父の匕首なんですよ」

「その、もう一人の奴のことは、覚えてねぇのか?」

「暗かったので。それに、私は頭から血を噴き上げる父に目が釘付けでした」

 ぽろ、と佐奈の目から涙がこぼれた。
 そんな佐奈を抱く腕に、与之介は黙って力を入れた。
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