薄羽蜉蝣
 その頃、与之介は鶴橋の二階で転がっていた。
 辺りには徳利が転がっている。

「いつまでそうやって腐ってるんですかい?」

 下から田楽を持って上がってきた親父が、呆れたように言う。

「ほら、酒ばっか飲んでねぇで、何か腹に入れてくだせぇ」

 とん、と皿を置くと、与之介はのろのろと起き上がった。
 胡坐をかいて、田楽に手を伸ばす。

「全く、うちは旅籠じゃねぇんですよ」

「女連れ込まないだけでもいいと思ってくれ」

「連れ込む女子もいないでしょうに」

 軽くかわし、親父は転がった徳利を片付ける。

「良かったじゃねぇですか。お望み通り、早くに正体が割れたわけでしょう」

 与之介は黙って格子窓から見える空をぼんやり見た。
 佐奈が離れて行くことが、こんなに辛いとは思わなかった。

「全く、新宮様ともあろうお人が、女子一人で腑抜けにならないでくだせぇよ」

「俺は元々こういう情けない奴だよ」

「まぁ悪党を無慈悲に葬るかと思えば、そういう弱いところも見せるってぇところが、人間味があって放っておけねぇところなんですがね」

 親父はそう言って、酒の代わりに冷たい水を置く。

「娘っ子だって、いくら新宮様が下手人だって気付いても、離れるとは限りませんや」

「いくら悪党だと言っても、佐奈にとっちゃ優しい父親だ」

 弥七と対峙したとき、佐奈はきっぱりと言った。
 自分の父親は、ただの表店の商人だ、と。

 佐奈にとっては、それが全てだ。
 優しい表店の商人であった父を、与之介に殺された。

「父親を殺した下手人を、許しちゃなんねぇよ」

 膝に額をつけ、ぼそりと与之介は呟いた。
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