君のいた時を愛して~ I Love You ~
その日も、俺はサチに頼まれたヨーグルトと食パンを買い、サチに『これから帰る』とメールしてスーパーを後にした。
 一月の凍るような冷たい風が俺の頬を叩き、体の熱を物凄いスピードで奪っていった。
 俺は両手をポケットに突っ込み、左腕にスーパーの袋をぶら下げ、一人歩くスピードを上げた。
 サチが待っていてくれると思うだけで、安物のコートを抜けて肌に刺さる風の冷たさも、苦ではなかった。
 角を曲がりアパートの明かりが見えそうな距離まで来たとき、俺は見慣れない車がアパートの前に停まっていることに気がついた。
 見慣れない理由は、この辺では見かけることが滅多にないドイツ産超高級車のカスタムモデルだったからだ。
 昔、借り上げアパートに住んでいたときの先輩が、楽しそうに自動車雑誌を広げ、俺に話して聞かせてくれた将来持ちたい車の一台だ。もちろん、俺にも先輩にも、宝くじにでも当たらない限り、そんなゼロの数の桁が違う外国車を帰る日がこないことは分かっていた。
 それでも、叶わない夢だと知っていても、夢がなくてはこんな世知辛い世の中で生きて行かれないことを俺達はよくわかっていた。
 もしかしたら、俺にとっての美月との関係は、本来なら叶わない夢だったのかもしれない。
 だとしたら、俺にはもう分かっている。俺が必要なのは叶わない夢じゃない。今の俺に必要なのは、叶う夢だ。サチとの愛と優しさのあふれる生活。そうだ、サチをデートに誘い、そこで今度こそ俺の本当の気持ちをサチに伝えよう。
 俺は幸せな気持ちに満たされたまま、アパートの入り口前に横付けされている邪魔な超高級車をよけようとした。
 瞬間、俺は何が起こったのか分からなかった。気付いたときには、俺は車の後部座席に押し込まれていた。
 若い女性を拉致という話は聞いたことがあるが、俺のようなさえない男を拉致するとしたら、昔、先輩と見た映画のような臓器売買の闇組織くらいしか思い当たらなかった。
 驚いた俺が声をあげる間もなく、車は一気にスピードを上げて走り始めた。
「おろしてください」
 俺は言うと、俺を車に引きずり込んだ男の方を向いた。
 隣に座っている男は、映画に出てくるマフィアのようにカッコ良くスーツを着こなした中年の男だった。
「おとなしく座っていなさい」
 まるで子供を叱るように男は言うと、それ以上何も言わなかった。
 仕方がないので、反対側に座る俺を車に押し込んだと思われる男の方を向くと、ガッシリとしたいかにもボディーガードといった雰囲気の男が俺の腕をしっかりと捕まえていた。
「俺を誘拐したって、身の代金なんて払う親もいないですし、人違いですよ。いま、車から降ろしてくれれば、警察には通報しませんから」
 俺はなんとか説得して男達を説得しようとしたが、俺の言葉にボディーガードのような男はニヤニヤ笑いを浮かべ、年配の男の方は大きなため息をついた。
「ちょっと、降ろして下さい!」
 俺が運転手に掴みかかろうと腰を浮かせると、年配の男が俺の腕を掴んで引き戻した。
「いい加減にしないか幸多。あまりみっともない真似をすると、死んだ洋子が恥をかくぞ」
 突然、母の名前を出された俺は、全身の力が抜けてシートに腰をおろした。
「家につくまで、大人しく座っていなさい」
 再び、年配の男は子供を諭すように言った。

(・・・・・・・・一体、誰なんだよこの男、母さんの名前を呼び捨てにするなんて・・・・・・・・)

 俺は、死んだ母さんに恥をかかせたくは無かったので、仕方なく男の言うとおりにした。
 それに、母さんの名前を敬称も付けず、何の躊躇いもなく呼び捨てにしたこの男が誰なのか、俺は知る必要があるとなぜか、俺はそう思った。

☆☆☆

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