君のいた時を愛して~ I Love You ~
二十四
 サチが恐れていた母親とその情夫にコータとの幸せを壊されるのではないかと言う恐怖は、寝耳に水の麻薬取締法違反という、サチには想像すらつかないほど重い罪によって拭い去られた。
 本当ならば、喜ぶべき事ではないのだろうが、コータに危害を加えられる心配がないという安堵感は、サチに言葉では表せないくらいの喜びを与えてくれた。
 もちろん、コータにプロポーズされた時や、初めて結ばれたときの喜びとは桁が違うが、それでもサチは人生で一番今が幸せだと、心から思っていた。
 コータの返りを待ちながら、食事を作り、狭い部屋のスペースをなんとか有効に活用して、コータに少しでも心地良く生活して欲しいと、部屋の隅々まで掃除をしたり、百円均一やワンコインショップで収納に使える小物を仕入れ、今では二着に増えたコータのスーツと五枚に増えたワイシャツを皺にならないように保管できるように部屋の角にポールを固定して簡易洋服かけを作って見たりした。
 そんなサチにコータはいつも『無理しなくていいよ、狭いのは昔からだから』と、サチのアイデアを誉めてくれてから付け足した。
 サチは大将の所のバイトが終わった後、ちょっと離れたショッピングモールまで足を運び、色々な収納アイテムを見て工夫するアイデアやヒントを探した。
 それして、リサイクルショップで見つけた掘り出し物のミシンで壁掛けスタイルの手紙入れを大きくした洋服入れを作り、ハンカチや靴下などの小物が取りやすく、無くなりにくい収納アイテムを造ってみたりした。
 家庭科の授業でしかミシンを使ったことのないサチだから、実際に思っていた物が出来るかどうかは賭だったが、コータに褒められると、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
 買い物は、コータをクビにしたスーパーに買いに行くのが悔しくて、コータが働いているスーパーまで買いに行ったり、近くの個人商店に買いに行ったりした。
 個人商店は、単価としてはスーパーには割高だが、顔見知りになるとおまけを付けてくれたりするので、サチは買い物するのも楽しくて仕方がなかった。
 もう、コソコソ逃げ隠れしなくていいんだ、そう思うと天にも昇るくらい幸せだった。
 だから、疲労感が残り、疲れやすくなっても、サチは『ちょっと頑張り過ぎちゃったかな』と、気にもとめなかった。

「サチ、最近、顔色が悪いけど、体の具合が悪いんじゃないのか?」
 コータに言われ、サチはまじまじと鏡に映る自分の姿を見つめた。
 『相変わらず、美人じゃないな』と思いながら、ろくに手入れもしていない肌が荒れているのも、こうしてまじまじと見ると目に着いたが、確かに、最近顔色が悪いことは事実だった。
 そんなサチの額にコータが手を伸ばした。
「サチ、熱があるんじゃないか? 額が熱いよ」
 コータは言うと、部屋の隅から体温計を取り出してきてサチに渡してくれた。
「ありがとう」
 サチは素直に受け取ると、熱を測ってみた。
 確かに、平熱とは言えない体温に、サチはため息をついた。
「風邪ひいちゃったのかな」
「食事の後の片づけは俺がするから、サチは先に休んでいいぞ。俺、明日は遅番で、昼から出勤だから」
 コータは言うと、サチをベッドに追いやり、夕飯の片づけを始めた。
「確か、風邪薬、あったよな・・・・・・」
 コータは呟きながら、狭い流しで皿や鍋を綺麗に洗った後、再び部屋の隅をゴソゴソと探し回り、一箱の風邪薬を取り出した。
「えっと、使用期限は・・・・・・、まだ大丈夫だ」
 コータは言いながら、薬の箱を片手にグラスに水を汲むとサチの方に向き直り、薬の箱を手渡した。
「大人は、一回二カプセルって書いてある」
 サチは言いながら、箱から風邪薬を取り出し、コータが手渡してくれたグラスの水で薬を飲んだ。
「熱があるなら、うーんと温かくして、汗かいたらすぐに着替えて、そうしたら、明日には元気になるよ」
 笑顔で言うコータに、サチはコータが高熱を出した時のことを思い出しながら、頷いて見せた。
「俺も、仕事の資料読んだら、すぐに休むから、お休みサチ」
 そう言ってお休みのキスをしようとするコータの唇をサチは手で押さえた。
「ダメだよ、コータ。風邪がうつったら大変だもん」
「そうだな。二人で討ち死にしたら、看病する人間がだれもいなくなっちゃうからな」
 コータは笑って言うと、子供の頭をよしよしと撫でるようにサチの頭をなでてから、掛け布団をきちんと整え、サチの体が冷えないようになっているのを確認してから窓を背にして座ると、仕事用のカバンの中から書類を出して読み始めた。
 そんなコータの姿を見つめながら、サチはゆっくりと眠りに落ちていった。
 サチがひと眠りした頃、ベッドが軋み、申し訳なさそうにコータが布団の中に潜り込んできた。
「コータ」
 サチはコータが愛しくて、コータの体に腕を回した。
「汗かいてないか?」
「大丈夫」
「もし、二人で寝るの辛かったら、俺、ベッドに寝なくても大丈夫だから・・・・・・」
 コータの言葉に、サチは頭を横に振って腕に力を込めた。
「どこにもいかないで。あたしの傍に居て」
「わかった。どこにもいかないよ」
 コータは優しい声で答えたが、真っ暗な部屋の中ではコータがどんな顔をしているかまでは見えなかった。
「コータ、大好き」
「俺もだよ」
「コータ、愛してる」
「俺も愛してるよ、サチ。どうしたんだよ、たかが風邪ぐらいで、そんな気弱になって」
 コータに言われ、サチは自分がすべてを失ってしまいそうな恐怖にまだ追いかけられていることに気付いた。
「いいじゃん、愛してるから、愛してるって言っただけだもん。コータは、愛してるって言われて嬉しくないの?」
 サチは慌てて、恐怖を打ち消すように言った。
「嬉しいよ。サチに愛してるって言われるたびに、俺には本物の家族が出来たんだって、すごく嬉しくなるし、幸せな気持ちになるよ」
 コータは答えると、サチに腕枕し、サチを抱き寄せた。
「こんばんは、俺が頑張ってサチを温めて、そんな風邪、すぐにどっかに退散させてやるから」
 コータは言いながら、サチの額にキスを落とした。
「コータ・・・・・・」
 サチはコータに口づけたくて堪らなくなったが、風邪をうつしたくなかったので、必死に堪えた。
「おやすみなさい、コータ」
「起こしちゃってごめんな、サチ。お休み」
 コータの腕の中で、サチは幸せな気持ちのまま再び眠りに落ちていった。
 サチを暖めるつもりが、サチの高い体温に暖められ、コータもすぐに眠りに落ちていった。


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