黎明センチメンタル
分厚い辞書に、カラフルな背表紙。
子供向けの可愛いイラストが描かれた平仮名のワーク。
「あ……懐かしい」
学生時代に使った辞書は変わらずに今もここにいる。
当たり前の事なのだけど、世代を越えてまた会えた。変だけど、変じゃないその感覚に頬が緩んでしまう。
「結構埃溜まるんだなぁ……」
ハタキで棚の端から端まで丁寧に埃を払いながらブツブツと独り言。
「もっとちゃんと、綺麗に直したらいいのに。売り物なのに」
「そうですよね、僕もそう思います」
独り言に突然相槌を打たれ、声にならない叫びをあげて振り向くと立岩さんがにっこり笑って立っていた。
「日下さん、ここまだ埃がありますよ」
「えっ……あ、すいません」
片手にハタキを持った立岩さんが棚を指さし小首を傾げた。
慌ててハタキで払うとまた立岩さんの声がする。
「わぁ、日下さん。見てください、ここは本が雪崩起こしてますね」
クサカホ、で定着しつつある私を未だ日下さんと呼ぶ立岩さんは、なんとも掴めない人だ。
「ところで、日下さん。今日は何時までですか?」
「えっと、四時までです」
腕にはめた時計をちらと見て、後一時間かと頭で思う。
「なるほど、残業って可能ですか?」
「……時間にもよりますね」
ヒューゴブックスで働き出して、以前よりも規則正しい生活に変わりつつある私生活。
十九時までには帰りたいなぁと考えながら、立岩さんの答えを待っていると日中よく耳にする足音が聞こえた。
「クサカホ!何ちんたらやってんの?遅い!……立岩くん居たの?」
雷が落ちる寸前、山科さんの顔が曇る。
「おはようございます、山科さん。安倍さん、遅れるそうなんで日下さんに残業頼めないかな〜って」
突き刺さる様な山科さんの視線に少しも動じずのほほんと話を続ける立岩さんはやっぱり掴めない。
「はぁ?安倍っち今月何回目の遅刻よ!」
「今月は三回目ですね」
「詳しい数とか興味ない!他誰かいるの?」
残業をするのは私なのに、二人で話を続けるのを眺めて私の口がぱかりと開いた。
「山科さんと小田さんは定時で帰られるんですか?」
「二人とも、主婦だからね」
立岩さんの言葉に思わず声が漏れる。
「何その反応。私だって家庭くらいあるわよ」
じとりと睨む山科さんに愛想笑いをしているとまた、のほほんとした声がした。
そののほほんとした声で、私の薄れた記憶をはっきりと引き寄せる。
「まぁまぁ。今日は安倍さんと、影ちゃんです」
【 影内 馨 】
忘れていた綺麗な名前。
「綺麗な名前ですよね」
私の脳内を縦横無尽に跳ねた名前。
字を思い出し、音に浸る。
きっと素敵な女性なのだろう。
名は体を表すを地で行くんだろう。
次の瞬間、エフェクトのかかる脳内をハタキで叩かれた。
「綺麗な名前だけど女っぽい名前だよね」
「……え?」
山科さんが私の顔を見て、呆れたように笑う。
「影ちゃん、あの名前で結構苦労してそうですよね」
「………え??」
山科さんと立岩さんは分かり合った様に頷き、私はハテナと首を傾げ合う。
「まぁ直に影ちゃん来るからその時にでも紹介するよ」
意味ありげに微笑んで立岩さんが売り場に消えた。
「クサカホ、安倍っちも初めてでしょ。クセ強いから頑張りなよ」
肩をポンポンと叩かれて、私は少しだけ綺麗になった学参コーナーに立ち尽くすしか出来なかった。
子供向けの可愛いイラストが描かれた平仮名のワーク。
「あ……懐かしい」
学生時代に使った辞書は変わらずに今もここにいる。
当たり前の事なのだけど、世代を越えてまた会えた。変だけど、変じゃないその感覚に頬が緩んでしまう。
「結構埃溜まるんだなぁ……」
ハタキで棚の端から端まで丁寧に埃を払いながらブツブツと独り言。
「もっとちゃんと、綺麗に直したらいいのに。売り物なのに」
「そうですよね、僕もそう思います」
独り言に突然相槌を打たれ、声にならない叫びをあげて振り向くと立岩さんがにっこり笑って立っていた。
「日下さん、ここまだ埃がありますよ」
「えっ……あ、すいません」
片手にハタキを持った立岩さんが棚を指さし小首を傾げた。
慌ててハタキで払うとまた立岩さんの声がする。
「わぁ、日下さん。見てください、ここは本が雪崩起こしてますね」
クサカホ、で定着しつつある私を未だ日下さんと呼ぶ立岩さんは、なんとも掴めない人だ。
「ところで、日下さん。今日は何時までですか?」
「えっと、四時までです」
腕にはめた時計をちらと見て、後一時間かと頭で思う。
「なるほど、残業って可能ですか?」
「……時間にもよりますね」
ヒューゴブックスで働き出して、以前よりも規則正しい生活に変わりつつある私生活。
十九時までには帰りたいなぁと考えながら、立岩さんの答えを待っていると日中よく耳にする足音が聞こえた。
「クサカホ!何ちんたらやってんの?遅い!……立岩くん居たの?」
雷が落ちる寸前、山科さんの顔が曇る。
「おはようございます、山科さん。安倍さん、遅れるそうなんで日下さんに残業頼めないかな〜って」
突き刺さる様な山科さんの視線に少しも動じずのほほんと話を続ける立岩さんはやっぱり掴めない。
「はぁ?安倍っち今月何回目の遅刻よ!」
「今月は三回目ですね」
「詳しい数とか興味ない!他誰かいるの?」
残業をするのは私なのに、二人で話を続けるのを眺めて私の口がぱかりと開いた。
「山科さんと小田さんは定時で帰られるんですか?」
「二人とも、主婦だからね」
立岩さんの言葉に思わず声が漏れる。
「何その反応。私だって家庭くらいあるわよ」
じとりと睨む山科さんに愛想笑いをしているとまた、のほほんとした声がした。
そののほほんとした声で、私の薄れた記憶をはっきりと引き寄せる。
「まぁまぁ。今日は安倍さんと、影ちゃんです」
【 影内 馨 】
忘れていた綺麗な名前。
「綺麗な名前ですよね」
私の脳内を縦横無尽に跳ねた名前。
字を思い出し、音に浸る。
きっと素敵な女性なのだろう。
名は体を表すを地で行くんだろう。
次の瞬間、エフェクトのかかる脳内をハタキで叩かれた。
「綺麗な名前だけど女っぽい名前だよね」
「……え?」
山科さんが私の顔を見て、呆れたように笑う。
「影ちゃん、あの名前で結構苦労してそうですよね」
「………え??」
山科さんと立岩さんは分かり合った様に頷き、私はハテナと首を傾げ合う。
「まぁ直に影ちゃん来るからその時にでも紹介するよ」
意味ありげに微笑んで立岩さんが売り場に消えた。
「クサカホ、安倍っちも初めてでしょ。クセ強いから頑張りなよ」
肩をポンポンと叩かれて、私は少しだけ綺麗になった学参コーナーに立ち尽くすしか出来なかった。