黎明センチメンタル
「じゃあ私らそろそろ帰るね」

レジ内を整頓する小田さんの肩を叩き、山科さんが時計を見上げた。

「お疲れ様でした。安倍さんにはちゃんと言っておきます」

「立岩くんいっつもそう言うけど、ちゃんと言ってる所見たことない」

エプロンの紐を解きながら山科さんがじとりと睨むと、場が凍りつく。なんとかその場を和ませようと口を開いた。

「山科さんと小田さん帰っちゃうの寂しいです」

それは紛れも無く本心だけど言葉にすると何処か嘘臭い。

「やだ〜、クサカホ〜!一緒に帰ろっか」

私の言葉に小田さんがぴょんぴょん跳ねて反応すると、肩に温もりが乗った。

「多分明日色々話したくなるだろうからゆっくり聞いてやるよ」

遠い目をして山科さんが呟く様に言うから、言葉の意味を知りたくて顔を上げるとレジにお客が立っていた。

お疲れ、と言わんばかりに肩を叩きレジを抜け出す小田さんと山科さん。その背中を眺め、レジを打つ。

「安倍さんと影内さんは何時からなんですか?」

「安倍さんは十六時。影ちゃんは十七時から。影ちゃんに早めに来てとは言ったけどどうかなぁ……」

返本作業を進めながら立岩さんに話し掛けた。相変わらず雲のようにふわふわと話す立岩さんとは会話が長く続かない。

「私売り場巡回してきますね」

時刻は十六時半。ハタキを片手にレジを出た。

文庫コーナーはすぐに売り場が乱れてしまう。勤務数日で、なんとなく掴んだ情報を元に足を進めると入口の自動ドアが開いた。

「いらっしゃいませ」

接客業の基本の挨拶。

自動ドアから入って来たのは如何にも本が好きそうな大人しそうな男の人と、じっとりとした熱風。

私の声に顔を向け小さく会釈をしてその男の子は奥へ行く。

「入口から入って右手は書籍とCD、DVD。左手はレンタル…」

ブツブツと店内の間取りを言いながら乱れは無いか、汚れは無いかと目を光らせた。

二十歳を超えて、初めて働く事が少し楽しいと思うようになった。
普段は雑誌も漫画も読まないし、当初はレンタルスタッフを希望していた。

足にフィットしなかった黒のスキニーが馴染み出すにつれ、本に、紙に触れる事が楽しくなっていた。

「日下さん」

目を惹くタイトル、触れたくなる装丁、鼻の奥を擽る紙の香り。
視覚、触覚、嗅覚。全身を使い【書籍】を堪能していると、立岩さんの声がした。

少し離れた場所で私に手を振るから、何事かと近寄るとレジを指さした。

「影ちゃん、来たから挨拶しようか」
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