誘惑前夜~極あま弁護士の溺愛ルームシェア~

 大通りに出ると、初もうで客が急に増える。閑が繋いだ手に力を込め、唐突に口を開いた。

「俺ね……。赤ん坊の時の記憶があるんだ」
「――えっ?」

 驚いた小春は、閑を見あげた。

 隣を歩く閑は、まっすぐに前を見詰めていた。とても嘘や冗談を言っている雰囲気ではない。
 だとしたら、これは本当の事なのだ。

「たぶん俺が生まれた年の年末だと思うんだけど。こう、母親らしき人に抱っこされて……除夜の鐘の音を聞いたんだ」

 閑は繋いでいないほうの手を、まさに赤ん坊を抱くような腕にして、揺らす。

「こうやって、家族でお参りに行ってたんじゃないかな。俺は母親の顔を下からずっと眺めていて、ゆらゆら揺れてて……楽しそうな笑い声が聞こえて……それだけなんだけど……悪くない記憶だって、思ってるんだよね」

 そして閑は、隣を歩く小春を優しく見つめる。

「そうあってほしかった、ねつ造した記憶かもしれないんだけどね」
「閑さん……」

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