初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・
「アレクサンドラはどうしている?」
 父の言葉に、アレクサンドラは廊下にいるジャスティーヌの方を振り向きそうになったが、何とか堪えると少し高めの声で答えられるように息を吸った。
「明日から、ドレスを着る練習に励むそうです」
「そうか、明日からか」
「それはそうと、言葉遣いの練習は平行に進めないと、立ち居振る舞いの稽古はドレスを着てそつなく歩けるようになってからということになるでしょうが」
 そこまで言ったアリシアが、じっとアレクサンドラの事を見つめた。
「どうしてそんなところに立っているの。夜のサロンでのマナーなど、家族だけなら気にしないことはあなたもよく知っているでしょう。いらっしゃい、ジャスティーヌ」
 手招きする母に、アレクサンドラは必死に一歩を踏み出したが、体がやはり安定しなかった。
「もう、ディナーも終わったというのに、明日の支度でもあるまいし」
 ディナーの時とドレスが違うことに気づいたルドルフが怪訝な顔をした。
「それは昼間のドレスでしょう。いったいライラは何を考えてそのドレスを・・・・・・」
 そこまで言ったアリシアは言葉を切ってじっとアレクサンドラのことを見つめた。
「その髪型。ジャスティーヌにしては髪の毛が短すぎるわ」
「まさか!」
 驚いた父が声を上げると、扉の隙間からジャスティーヌが姿を現した。
「いかが、お父様、お母様。ちゃんと、髪の毛も結い上げられるようになって、これでアレクも立派なレディまであと一歩よ」
 ジャスティーヌの言葉は間違ってはいなかった。椅子に座ったまま動かずに済むのであれば、アレクサンドラにもレディの振りはできるかもしれない。喉の調子が悪いと言って、話をしなければ男言葉が飛びだす危険も回避できる。しかし、常に立って歩き、言葉を交わし、ましてやダンスを踊らないといけないことを考えると、アレクサンドラは本当に目が回りそうだった。
「しかし、驚いた。こうしてドレスを纏うと、アレクサンドラも立派なレディだ。いままで、アレクシスとして誰にもレディであることを気取られなかったことの方が不思議なくらいだ」
 幸先の良さげなスタートに、アレクサンドラの不安も知らず、両親もジャスティーヌもかなりのポジティブ思考だった。
「でも、こうしてアレクサンドラだと言われてしっかりと見ると、コルセットが緩く、体の線がジャスティーヌのように締っていないことは一目瞭然。これでは、ジャスティーヌのドレスを着ることはできないでしょうから、新しいドレスを仕立てるということになりますわね」
 アリシアは言いながら、アレクサンドラのドレス費用、陛下のご命令である正式な社交界デビューにかかる費用を頭の中で計算した。
「アレクサンドラには可哀そうだけれど、ジャスティーヌのドレスを修正して、同じドレスだとわからないようにする以外ないわね」
「ドレスとか、準備とか、僕にはわからないから、お母様とジャスティーヌに任せるよ。僕は、なんとかライラにしごいてもらって、もう少しきつくコルセットを巻いてサイズをジャスティーヌに近づけることと、あとはこの特殊訓練靴みたいなヒールで足をくじかないように歩けるように練習をするよ」
 アレクサンドラの言葉に、ジャスティーヌが耳元で『僕じゃなく私よ』と囁いた。
「ああ、そうだね、ジャスティーヌ。僕じゃなく、私だね。今度から気を付けけるようにするよ」
「大丈夫よアレク、私と色々話していれば、どういう言葉遣いが普通なのかが分かるはずよ」
 優しいジャスティーヌに、アレクサンドラは笑顔で返した。
「あ、でも、ジャスティーヌ。その僕をアレクって呼ぶのはまずいんじゃないかな? だって、アレクシスの時の僕を呼ぶのと同じ呼び方だよね?」
「そう、そのことは私も考えたんだけど、きっとうっかりアレクって呼んでしまうと思うの」
「ジャスティーヌでも、そんな間違いをしちゃうの?」
「それはそうよ。だって、もうずっとアレクって呼んでいたのよ。急に変えてもボロが出てしまうわ。だから、私はアレクサンドラもアレクシスもどちらもアレクと呼んでいるってことにしようと思っているの。で、誰かに二人と一緒の時はと聞かれたら、アレクシスのことを名前で呼んでいたというように説明しようかと・・・・・・」
 ジャスティーヌの説明に、ルドルフも相槌を打つように首を縦に振った。
「さしずめ、呼び方を気に留めるのは、殿下とアントニウス殿だろう」
 父の言葉に、アレクサンドラは体を締め付けるコルセットが一瞬できつくなったように感じた。
「先手必勝ね。二人で一緒の舞踏会の時に、私の方から先に殿下に説明しておけば大丈夫だと思うわ」
「問題は、いつアレクシスを田舎に返し、アレクサンドラをデビューさせるかということだな」
 ルドルフの言葉に、アリシアは『ドレスができるまで、時間がかかりますから、その間に何とかすればよろしいでしょう』と他人事のように取り合わなかった。
 アリシアにしてみれば、大切な娘の社交界デビューのドレスが双子の姉の作り直しだなどという事が世間に知れれば、アレクサンドラが肩身の狭い思いをするだけでなく、アーチボルト伯爵家の『貧しい』というイメージが『極貧』に変わってしまうのではないかという懸念でいっぱいだった。
「そろそろ、苦しいから僕は部屋に戻るよ」
 アレクサンドラが傍に付き添うジャスティーヌに言うと、ジャスティーヌはコクリと頷いた。
「では、お父様、お母様。私とアレクサンドラは二階で休む支度を致します。おやすみまさい」
「お休み、ジャスティーヌ。それから、アレクサンドラ。辛いことも多いだろうが、頑張るんだぞ。今まで、社交界も陛下も殿下もみな騙すことのできたお前だから、私はお前の努力に疑いは持っていない。ゆつくり休みなさい」
「おやすみなさい、父さま」
「おやすみなさい、ジャスティーヌ、アレクサンドラ」
 両親に見送られ、二人はサロンを後にした。
 ゆっくりと一歩ずつ踏みしめるようにして進むアレクサンドラの後ろをジャスティーヌが支えるようにして続いた。


 二人は部屋に戻ると、ライラに手伝ってもらい寝間着に着替え、それぞれの部屋の寝室へと戻っていった。

☆☆☆

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