初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・
「本当に物入りですわ」
 二人を見送った後、アリシアはぽつりと呟いた。
 ロベルト殿下との見合いのために、新しい舞踏会用のドレス、外出着等、すべてジャスティーヌのサイズに合わせて仕立てたが、先ほどの様子を見る限り、アレクサンドラがジャスティーヌと同じ細さまでコルセットを締めるには想像を絶する苦労が伴い、とてもすぐに何とかなることには見えなかった。
「社交界デビューのためのドレスは、きちんと新しいものを仕立ててやらねばなるまい」
「ですが、それ以外の夜会服や色々なものも仕立てる都合がありますから、とても間に合いませんわ」
「だが、ジャスティーヌのお古というわけにもいくまい」
 誰が何と言おうと、無い袖は振れない。この見合いの一件で殿下が屋敷を訪れることも考え、迎賓室の手入れをしたり、前庭だけでなく、屋敷の後ろに広がる敢えて言えば無駄に広い敷地を見目麗しくするための手入れなど、支度金からは支出できないありとあらゆる費用が既にアーチボルト伯爵家の経済を逼迫させている。
 殿下に出すためのお茶は最高級の茶葉でなくてはならないし、カップもそれ相応の品を用意しなくてはならない。カップは一客だけというわけにはいかないし、揃いのポットも必要だ。
 近年まれにみる経済の逼迫状況は、日々の食卓に如実に表れてきている。
 基本的に、野菜がメイン。肉や魚と呼ばれる物が姿を消したディナーのプレートはさすがにもの悲しさを漂わせている。
 実際のところを言えば、肉は無駄に広い敷地内に生息しているウサギや水鳥の類の他、時には鳩を捕まえることもできるのだが、それらは全て食費の足しにするために売りに出しているし、敷地内の川に生息する魚も同じことで、自給自足できそうに見えて、貧しい家計をやりくりするために正直なところ、見合いの話が出さえしなければ、鶏小屋を庭に建て、せめて卵を自給自足してはどうかと、家令が庭番と相談をしていたくらいだ。
 しかし、食物蔵が空になり、金庫の中が空になるという危機的状況に直面しても、殿下や社交界の面々の前で恥をかくことだけは避けなくてはいけない。だから、肉の代わりにつぶした豆を小麦粉でつなぎ、炒めた玉ねぎで色をつけた豆のステーキに、マッシュしたジャガイモを魚の型に入れて魚に仕立てたマッシュポテトの舌平目のムニエル風がメインコースであっても、シェフを褒めこそすれ、非難することはできない。
 そんなアリシアからすれば、一度しか袖を通すことのない社交界デビューのためのドレスよりも、舞踏会に着て行くドレスや晩さん用のドレスの方が何百倍も重要なのだが、そんなことを男性のルドルフに理解してもらおうなどとは、まったく考えてもいなかった。
 だいたい、アーチボルト家の御用達の仕立屋なら、荒唐無稽な要求をルドルフが出したところで、結局のところは値段の交渉になればアリシアの納得の行かない物はすべて世算オーバーとして削ぎ落とされる。更に言えば、仕立て屋とて、中の下と言うかしたから数えた方がいいような弱小伯爵家との付き合いをちゃんとわきまえており、ドレスを仕立てるに当たり、同じドレスを何度も着ていくことはマナー違反であることを鑑み、囁かない修正で違うドレスに見えるような素晴らしいデザインのドレスをちゃんとラインアップしてくれる。しかし、社交界デビューの時のドレスはそう言うわけにはいかない。細かくエチケットで決められているので、どれだけお金をかけようとも、袖を通すのは一生に一度きりだ。このエチケットの困ったところは、お金をかけようと思えば、幾らでも豪華にする事が許されているところだ。そのおかげで、一握りの特権階級、資産家の娘達は、それこそ金塊を身にまとっているような豪華さで陛下に謁見する。もちろん、それを見に来る物好きも大勢押し寄せてくる。しかし、注目度ナンバーワンとは言え、ない袖は振れない。かと言って、これほど注目を浴びていながら、貧相なドレスでは苦労してレディに戻るアレクサンドラが何かにつけてバカにされたり、後ろ指を指されたりすることになる。
 アリシアは、ルドルフの去ったサロンで一人、解決方法をあぐねて沈思した。しかし、どう頑張ったところで、無い袖は振れない以上、脳細胞がちぎれそうなくらいフル稼働させたところで良い考えなど思いつくはずもなく、大きなため息が出るばかりだった。
 アリシアは最後に大きなため息をつくと、夫婦の寝室ではなく自分の寝室に下がっていった。

☆☆☆

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