異世界で、なんちゃって王宮ナースになりました。
「んっ、ふっ……」

 濃厚な口づけに合わせて、時々上唇を食まれまま「鈍感にもほどがある」と小言もついてきた。

 唇を貪られながら、彼と出会ったのも月の美しい夜だったなと思い出す。

 ステンドグラスの光を浴びる彼の髪は夜空をそのまま連れてきたように鮮明な濃紺色をしている。無意識にその髪に指を差し込むと、彼の唇がビクリ震えて離れていった。

「若菜から触れてきてくれるなんて、嬉しくて理性が飛びそうだ」

 頬をわずかに上気させたシェイドは吐息交じりに告げる。

 普段見せない照れくさそうな表情も、低いバリトンの声から滲み出る色気も、私を惹きつけてやまないのだからずるい。

「つい、触りたくなってしまったの」

 帰らなきゃいけないのに、私は彼を愛している。その想いこそがこの世界に私を引き留めているのではないかと思ってしまうほどに。

「若菜、俺のそばにいててくれ。この世界、いや……どの世界を探しても俺ほどお前を必要としている人間はいない」

 耳にかかる髪を受け入れてくれと乞うように指でかき上げられる。私は注がれる視線に観念して彼を見上げた。

「でも、私には生まれ育った世界があって……。看護師として、まだまだやらなきゃならないこともあるし、帰らなきゃいけない……のに……」

 つらつらと述べたのは元いた世界に“帰らなきゃいけない”理由。裏を返せば、“帰りたくない”のだとわかって言葉尻がしぼんでいく。 

「……迷っているのなら、俺は若菜を帰さない」

 私の心を見透かすように彼は言うと、吐息ごと食らうような口づけをしてくる。それ以上悩まなくていいように、彼だけで頭を埋め尽くすような触れ合いに私の心は自然と固まっていった。

 言葉では帰らなきゃと言いながら、私は彼を諦めきれずにいる。彼の隣にいる自分を思い描いて幸福感を得てしまう段階で、もうこの想いからは逃げられないのだ。

 そんな結論めいた答えに心の中で苦笑いすると、私はそっと彼の胸を押した。再び唇が離れ、私たちは吐息が交じる距離で見つめ合う。

「私、自分で言うのもあれだけど、責任感は強いほうなの」

 脈絡のない私の言葉に、急になにを言い出すんだと彼の顔に書いてある。一拍遅れて「は?」と彼らしからぬ、ぞんざいで品のない返事があった。

 それに苦笑いしつつ、順を追って気持ちを伝えていくことにする。

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